「新店成功! 街に同化するまでした調査×若手に任せた店づくり」 ~おかあさんグループ代表・齋藤明典の倫理#2~

2016年07月11日

by赤星 アキラ赤星 アキラ編集長
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――わずか半年足らずで売上を3倍近くに伸ばした『池袋おかあさん』。

親交のあった社長や一緒に働いたスタッフから、のれん分けの相談が次々と舞い込むようになる。そして、2010年には、新宿店と鶯谷店が開業。続けて2011年と2012年には、五反田店と西川口店がオープンした。

しかし、齋藤さんには、ひとつ大きなコンプレックスがあった。

『横浜おかあさん』ゼロからの立ち上げと自分への挑戦

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業績は、代表就任当初のように倍々で増えていたわけではないですが、ある程度、稼げるようになってきたんです。2011年の段階で(池袋店の)年商は1億を超えてましたから。

ただ、僕はずっとコンプレックスに感じていたことがあったんです。

ほかの風俗経営者の方から言われたんですが、「齋藤くんは、(風俗店を)ゼロから作ったことないでしょ」って。『池袋おかあさん』は、すでにあったものを譲り受けて代表になったんです。だから、自分でゼロから店を作りたかった。そこで、プライベートでよく行っていた横浜に出店しようと決めたんです。

カネが最後に落ちるのが風俗! 街に同化するまでした調査

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徹底的にリサーチしましたよ。昼からラーメン食べて、パチンコ屋に行って、夜は飲み屋とかバーをはしごして、客層や地域の情報を集めました。特に飲食街の情報ってすごく大事なんですよ。あとは麻雀荘。サラリーマンが、どれくらい雀荘に来ているかとか。

これは、お世話になっている広告代理店の社長がおっしゃっていた言葉なんですけどね。「この商売は体感商売だ。どれくらい、お客様の気持ちを理解できるか、それが一番重要だ」って。

だから、僕は、お店のターゲットになるお客さんになったつもりで、とことん街に同化しました。特に風俗は街の影響が大きいですから。カネが最後に落ちるのが風俗ですし。かなりのお金を使いましたけど……(笑)。

しかし、本当にうれしかったですね! 横浜店をオープンできたときは。ゼロから自分で店を作ったっていう充実感がありました。

26歳の店長が新店を軌道に乗せた理由

ただ、立ち上げまでは僕がやったんですけど、すぐに店長を置いて、その彼に任せました。青学出身の26歳の若い店長です。ユニクロを辞めて、起業のためにお金を貯めたいと言って入ってきました。

彼を横浜の店長に任せようと思ったのは、とにかく徹底して人の話を聞く人間だったからです。これは、熟女の管理に必要な姿勢でもありますし、素直な人は伸び方が違いますよね。

彼は、僕の『おかあさん』を横浜でもしっかり再現してくれました。その上に彼のカラーを乗せてくれて。サイトの写真を見てもらえるとわかると思うんです。

池袋・横浜画像比較

僕のポリシーとしては、サイトに載せる写真で絶対にビッチ感を出さないようにしているんです。世界中で見ることができるネットで、「わたしを見て!」みたいなエロい恰好をする“おかあさん”なんていませんから。

でも、横浜はエロさというか、艶やかさを少し出してるんです。それで電話が鳴っている。結果が出ているので、僕は口を出さないですよ。

9割任せるマネジメントが人を育て業績を伸ばす

社長のエゴで、『おかあさん』はこうだ!って決めつけてはいけないんです。

彼に店長っていう肩書きを与えた以上、その店の90%は彼のものだから。10%だけ、会社の財務上の話とか、「ここは譲れない!」っていうコンセプトの話だけは伝えるようにしていますけど。その90%の中で、好きにやってくださいと。

今の世の中、甘いって言われるかもしれないけど、僕は、「人は、立場や役割を与えたら、ちゃんと進化していくものだ」と思っているんです。

なにか能力があるから、店長にしようとか、役員に置こうっていう考えはありません。駄目なところ、絶対に店長にしてはいけないような欠陥がなければ、役職は与えるようにしています。

最近は、才能のある人を引き抜いてきて、上の立場に据えないと会社は伸びないっていうのが、主流じゃないですか。でもそれは、大企業の話です。こんなちっぽけな会社であれば、僕のスタイルでも十分通用すると思っています。

だって、在籍の女性がそうじゃないですか。もともと、スタイルが良くてっていう女性ではないですから。駄目駄目で人生を生きて、感情で生きて、失敗して、子供を泣かしてっていう女性が来るんですから。

そういう方が、ナンバーワンになれるようなお店を作っていかなきゃならないわけですからね。

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――ゼロからの立ち上げを徹底したリサーチと、任せるマネジメント術で成功させた齋藤さん。

この年(2013年)には、関西進出も果たし、1年で3店舗の出店を成し遂げた。胸を張ってグループ代表を名乗り、「全国におかあさんを作る」というビジョンをもつようになるのもこのころからだ。

しかし、齋藤さんは、なぜ短期間にこれほどまでの結果を残すことができたのだろうか。また、これほどの人がなぜ、風俗業界に転じたのだろうか。

続く第3回では、齋藤さんのシゴト人としての前半生について、伺っていく。

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「すべてが今につながっている! シゴト人としての前半生」 ~おかあさんグループ代表・齋藤明典の倫理#3~

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齋藤 明典

1968年、岡山県出身。広島大学理学部数学科中退。街の電気店、古本店経営会社勤務を経て、2009年よりおあかさんグループ代表。自身を“古いタイプの経営者”と呼び、松下幸之助や本田宗一郎を尊敬する。酒と麻雀と熟女をこよなく愛す一方、本や音楽、映画などに造詣が深い。座右の銘は「勝負の最中は悩まない」。おかあさんグループ公式サイト

執筆者プロフィール

赤星 アキラ

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元証券マン。リーマンショックを経て、ハタラクとジンセイをひたすら考え続ける。昨春、縁あって風俗業界に転じ、FENIXプロジェクトを企画。Fenixzineを風俗でハタラク男性のプラットフォームにしていきたい。好きな音楽はV2。福岡市出身。

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