「すべてが今につながっている! シゴト人としての前半生」 ~おかあさんグループ代表・齋藤明典の倫理#3~

2016年07月18日

by赤星 アキラ赤星 アキラ編集長
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――ヘルプで呼ばれた店舗を短期間で立て直し、今や全国9店舗を展開する齋藤さん。連載3回目となる今回は、その成功の底流にあるものと、そもそもなぜ風俗業界に転じたのかについて、齋藤さんの前半生をたどりつつ伺っていく。

目先の売上や利益よりもおばちゃんたちの笑顔

僕は、22歳の時に街の電気屋さんでアルバイトとして働き始めました。製品のパンフレットを持って回る、外回りの営業ですね。相手は家にいるおばちゃんたちですよ(笑)。

「換気扇が壊れたから見てほしい」って家に入れてもらったとき、普通の営業だったら、換気扇ごと新品に取り換えをして、利益を出そうとするんです。だけど、僕は壊れた部分だけを交換してね。

今もそうですけど、僕はあまり欲がないんです。ブランド物なんて、ほとんど持ってないですから。僕は、特に売上を上げたいとも思ってなかったし、おばちゃんの助けになれれば、それで良かったんです。

時には、家に上り込んで水回りの掃除をしましたよ。もうピカピカにしてあげてね。

そうすると、おばちゃんたちから、とても喜ばれて、気に入られて、「齋藤くん! 齋藤くん!」って声をかけてもらえるようになったんです。すると営業の成績が上がりましたね。熟女好きが功を奏した感じです。

社長の右腕として会社の全国展開を牽引する

25歳の時に、古本屋に転職をしました。そこは、学生時代にアルバイトをしていたお店なんですが、その社長が、「本も映画も音楽もわかるのは、齋藤くんしかいないから」って声をかけてくれたんです。僕は、いわゆるオタクだったんですよ(笑)。

その古本屋は順調に成長して、僕が28歳の時、広島総本店っていう、でっかい店舗を作ったんです。女の子のスタッフを何人も入れてね。そのころ、ちょうどブックオフが台頭してきたときだったんですよ。そこで「彼らがゼッタイ取り扱えない本を売ろう」と社長がいってですね、同人誌に特化した店づくりをしたんですね。

僕は、数万はある同人誌を、徹底的に勉強しました。そして、ジャンル別・作家別・登場人物別にメチャメチャ細分化してですね、今でいうデータベースを作ったんですね。ファイルで何センチっていう分厚いノートになりましたよ。

そうするとお客様は、お店で欲しい本がスムーズに探せます。それからお店の方も、仕入れの時、スタッフによってバラバラだった値付けを安定的にできるようになるし、いくらで売るかについても、全部管理できるようになるんです。

これがうまくいってですね。会社は、大阪店、名古屋店、渋谷店、池袋店とどんどん大きくなっていきました。

――齋藤さんの“売上や利益よりも目の前の人”という行動原理は、経営者の立場を超えて女性のジンセイ再生支援を行う今にも貫かれている。

また、徹底的に物事に向き合うその姿勢は、『横浜おかあさん』立ち上げ時の街に同化するまで行った調査のエピソードにも通ずるものだ。

ハタラク倫理観を大事にする齋藤さんは、社長の右腕として会社の全国展開を牽引する。

しかし、齋藤さんは、なぜ順風満帆だったシゴト人から一転、風俗業界に転じることになったのだろうか。

事業失敗と出戻りした会社で起こされたクーデター

2004年に、中古DVDのネット販売会社を起業したんです。社長から「仕入れとか融通するから」って話をもらいまして。いい時は月100万円くらい売上があったんですけど、Yahooの手数料が上がったり、ソフトの単価が下落したりで、結局2年で閉めることにしたんです。

それから、また古本屋の社長に声をかけてもらい、池袋店の店長として働かせてもらいました。ただ、女性従業員との関係がうまくいかなかった。「もう齋藤さんには、ついていけません」って、スタッフ全員からクーデターを起こされたんです。

やっぱり一度経営を経験したのが大きかった。仕入れ値とか利益率の話とか、今思えば相当数字にシビアになっていたんでしょうね。本が好きで入ってきた女の子たちに対して、言葉の端々や態度にキツいところが出てしまっていたんだと思います。

実はその時の経験もあって、『池袋おかあさん』の代表になった時は、シンプルに女性の在籍数だけを追うようにしたんですよ。

無職の40代を受け入れてくれたのは風俗だけ

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社長には、広島の管理部門のポジションを用意するからって言ってもらえたんですけど、東京が好きになっていたんです。それで、2009年の3月31日、辞表を出して退職しました。

それからは相当遊びましたよ。就職してからずっと朝から晩まで働き詰めだったんです。まとまった休みなんてほとんどなかった。この時初めて、羽を伸ばして休んだんです。昼から飲んだり、麻雀を打ったり、風俗に通ったり。月40~50万円くらいは使いました。

でも、さすがにこのままではまずいということで、就職活動を始めたんです。今思えばですけど、絶対に40過ぎのおっさんは仕事を辞めちゃだめです。僕は馬鹿でしたね。仕事なんてありませんから。

仕事は、なんでもいいと思ってました。ビデオボックスとかラブホテルの求人にも応募したんですけど、なかなか決まらなかったんです。実は、新宿2丁目のウリ専にも電話しました。結局行けなかったですけど、それくらい追い込まれていましたね。

そんななか、当時付き合っていた熟女の方から、風俗店を紹介してもらったんです。忘れもしない2009年6月15日、僕は風俗業界で働き始めました。

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齋藤 明典

1968年、岡山県出身。広島大学理学部数学科中退。街の電気店、古本店経営会社勤務を経て、2009年よりおあかさんグループ代表。自身を“古いタイプの経営者”と呼び、松下幸之助や本田宗一郎を尊敬する。酒と麻雀と熟女をこよなく愛す一方、本や音楽、映画などに造詣が深い。座右の銘は「勝負の最中は悩まない」。おかあさんグループ:公式サイト

執筆者プロフィール

赤星 アキラ

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元証券マン。リーマンショックを経て、ハタラクとジンセイをひたすら考え続ける。昨春、縁あって風俗業界に転じ、FENIXプロジェクトを企画。Fenixzineを風俗でハタラク男性のプラットフォームにしていきたい。好きな音楽はV2。福岡市出身。

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