「父は吉原ソープ社長! “サラブレッド”の店長が仕事に懸ける想いとは」~吉原『シャルマン』店長・霜村栄治さん#1~

2016年07月07日

by陽月 メオ陽月 メオライター

東京都台東区千束4丁目。三ノ輪駅からスカイツリーが見える方向に歩き、吉原大門の交差点を右に曲がると、約150軒ものソープランドが居並ぶ日本屈指の風俗街・吉原がある。

人気店『シャルマン』で店長を務める霜村栄治さんは、吉原ソープの社長を父にもつ、風俗業界のサラブレッド。しかし、恵まれた環境ゆえに悩み、20代のころはあえて風俗業界以外の仕事を志したとか。

霜村さんが風俗業界入りするまでの経緯、すぐに役立つ女の子の接し方や現場の声をたっぷりとお届けします。

父は吉原ソープ社長。子供のころから自分も社長にと思っていた

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親父が吉原のソープランド『クラブ華』の社長だったんです。その背中を見て育ったので、子供のころから「自分も社長になりたい」と思っていました。ただ、風俗業界に入りたくはなかった。

親父は成功していましたし、風俗自体に抵抗はなかったんですけど、周囲から「跡を継いで、楽して社長になるんだろう」みたいに言われていたのがコンプレックスでした。それが嫌で、自分はほかの仕事で成功したいと思ったんです。


――どんなお仕事をしていたのですか?

いろいろやっていましたよ。高校を卒業してから20歳までは、ショーパブでダンサーをしていました。その後、アパレルが好きだったので、百貨店に入社してスーツのブランドショップで一年くらい働いていましたね。

アパレルの仕事を辞めてからは、ほとんど飲み屋さんです。

キャバクラやクラブなどでボーイをしていました。ホストをしていたこともあります。24歳のときに独立して、キャバクラの社長になりました。キャバクラの経営と並行して、ダイニングバーの経営や中古車のバイヤーなんかもやっていましたね。

風俗業界に入ったのは30歳の時です。いろいろやっていた仕事を全部辞めて、吉原『大奥』にボーイとして入りました。

父親の遺志を継ぐべく30歳で風俗業界入りを決意

――若いうちから経験を積んで、若干24歳で社長になるという夢を実現したんですね。自分の力で成功を収めていたのに、あえて風俗業界に入ろうと思ったのは?

親父が急に倒れて、入院してしまったんです。

病室で親父と話している時、「やっぱり自分の息子に跡を継いでほしいというのが望みだ」と聞いて、「親孝行しようかな」と思ったのがきっかけですね。あと、風俗業界入りする前に、さまざまな業種で仕事をして経験を積んできたので、今ならやり切れるという自信もあった。

今の吉原の会長は、以前、親父と一緒にお店を経営していた方なんです。会長は常々、「もし吉原に入るのであれば自分のところを通せ」と言ってくれていたので、親父には風俗業界入りすることを言わずに、直接、会長に話を通しました。

会長が「ここで仕事をびっちり覚えてこい」と紹介してくれたのが、『大奥』です。もともと『大奥』は、会長と親父、吉原『台北』の社長の三人で経営していたお店で、「自分たちの思い入れの深い場所で息子を働かせてあげよう」と計らってくれたんです。

『大奥』で半年ほど働いて、今勤めている『シャルマン』のグループの社長に目をかけていただきました。「もっと伸びるから、うちのグループの本店へ行って仕事を覚えなさい」と。始めはレンタルみたいな感じだったんですけど、結果的にお店を移ることに。社長からはマンツーマンで仕事を教えていただき、1年で店長になりました。

女の子から言われたことは常に「はい!」で信用を築く

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――メキメキと頭角を現したわけですね。風俗業界入りするまでに、水商売系やアパレル系など、接客系のお仕事をたくさん経験してきたことが功を奏したのでしょうか

それが……、まったく違いましたね(笑)。キャバクラとか飲み屋で培ってきた女の子への対応や接し方は、まったく通用しなかったです。180度違いましたね。

――そんなに違うものなのですね

キャバクラでは、そこまで気を遣わずにざっくばらんにしゃべったり、指摘もできたんですけど、風俗業界の女の子に関しては、すごくデリケートな部分が多いので、一人ひとりの性格を考えながら接していかないといけないと痛感しました。

人それぞれ、感じ方は千差万別ですよね。だから、一人ひとりに合わせて言い回しや声のトーンなどすべてを変えること。これは、この業界に入って教えてもらったことです。

――やはり繊細な方が多いのでしょうか

繊細な方もいらっしゃいますし、自分のスタイルを貫いている方も多いので、その人の長所を殺さず、どう生かすかというのが、すごく難しいです。今も勉強中です。

――女の子と接するときに心がけていることは?

社長からいつも「イエスマンであれ」と言われていたので、女の子から言われたことは常に「はい!」と聞いて、その女の子から信用してもらえるように努力しています。信用を得られないと心を開いてもらえないので。

――具体的には、どのような声がけをしていますか?

「頑張ってください」とか、一方通行の言葉を投げかけるのは好きではないので、「一緒に頑張りましょう」とか、「協力してください」とか、言い方には気を付けています。その子だけに責任を押し付けるのではなく、「一緒に頑張ろう」ということが伝わる呼びかけをするように心がけています。

――繊細な気配りが必要なのですね。大変だと感じることもあるのでは?
  
あまり大変だとは思わないです。やっぱり女の子が一番大変だと思うので、僕らが簡単に大変だと言ってしまうのはどうかな、と。

たまに「自分はこれだけやっているのに」と不満を口にするスタッフがいますが、どれだけ頑張っているかというのは周りが評価することですよね。それに、自分たちが根を詰めてやっていることは、そのときは気付かなくても、きちんと周りが見てくれていて、必要なときに手を差し伸べてくれているんですよ。

だから、精神的な面では、あまり大変とは思わないです。逆に肉体の疲れは極限まで我慢してしまうんです。それが蓄積されてドカンときて、十日間くらい入院してしまったことがあります。変に我慢強いんですよね(笑)。大変なことがあるとしたら、自分の体調の見極めくらいですかね。

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霜村 栄治

1980年生まれ。吉原ソープランド『Charmant(シャルマン)』店長。花街として有名な墨田区の向島出身で、父親は吉原ソープの社長であり、幼いころから風俗業界を身近に感じて育つ。アパレルや水商売など、さまざまな仕事を経験した後、30歳で風俗業界に転職。吉原シャルマン:公式サイト

執筆者プロフィール

陽月 メオ

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(よみ:はづきめお)東京都出身。ナイトワーク系のフリーライター歴は10年以上でホストクラブと風俗店への取材を多く手掛けた。家族の確執や依存などで長年悩んだ経験を生かし心理カウンセラーとして活動した経験を持つ。

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