「医学生と夜の両立。人に去られた僕が、向き合ったもの」~高級デリヘル『贅沢なひと時』浅野代表#1~

2018年08月16日

by赤星 アキラ赤星 アキラ編集部

――『贅沢なひと時』の浅野代表。彼の経歴は驚くほど華やかで、そして数奇とも言える出来事に彩られている。――

早大に合格し、上京した19歳から学費等のために水商売で働く。その後順大医学部に入学し直し、同時に25歳にしてナイトレジャー業界で起業。27歳で医学部を退学し、赤字にあえいでいたデリヘル店『贅沢なひと時』の代表に就任する。店舗のV字回復を達成させたばかりか、現在3年連続の四半期売上更新を継続させている34歳――。

感心しながらも、ここでひとつの疑問が湧いてくる。

“彼はどうして、風俗業界に身を転じたのだろう?”

学歴的には申し分なく、エリートコースも歩めれば、医師にもなれたはずの人間。その人間を、風俗というこの産業はどのようにして惹きつけ、そして必要としたのだろうか。

結果としての“今”。実際には試行錯誤の連続

どうして僕がうまくいったか?ですか。うまくいく……。

僕自身は、自分も会社も“うまくいっている”なんて、全然思っていないです。もっとすごい人はたくさんいて。いつも悔しい、悔しい、こんなもんじゃないだろうって仕事をしています。

今回のインタビューのイメージだと、僕の経歴がおもしろいのかなって思ったのですが。

例えば僕が早稲田に進学しただけではなく、歌舞伎町で水商売の世界に飛び込んだり、中退して順大の医学部に進学したことだとか、さらにそこでスカウト会社をはじめたり、その後、買い取ったデリヘルを運営していることなんかが……。

「お、学生が水商売企業したの?」とか、「医大生してたのになんで?」

でも実際は、そのときどきで僕にも“そうせざるを得ない”理由があって、挫折や苦悩の果ての決断でした。

逆に言うと、その試行錯誤の結果が、今ということなのかもしれません。僕という人間にとっても、会社にとっても“発展途上”の今。

大学受験も、大学生としても、商売も、僕は失敗しています。でも、全て僕という人間にとっては、今につながる大きな糧になっています。

“やればできるはずだ”。自信には、根拠がなかった

学校が、愛媛の中高一貫の進学校だったんです。公立の小学校レベルでは学業も優秀だったのですが、そんな人たちが集まる名門校では全然たいしたことなくて。

授業が始まるとすぐに眠くなっちゃって。結果、すぐに最下層の劣等生で。進学校で勉強ができないのってとてもみじめで。高校生にして自分のメンツを保つために、学校をサボって本気でパチスロばかりしていました。あとづけで勉強できないことを正当化するために、みたいな部分があったかもしれません(笑)。

山の中の男子校だったので、僕には恋愛なんて甘美なものは見つけれませんでした。今も中高は共学のほうがいいと思います。子供には進学するなら共学を薦めますね(笑)。

やればできるはずだっていう、根拠のない自信だけは持っていたんですけど、受験は国立大学に2校願書を出して、センター試験の足切りで終わっています。私立は願書を出していなかったので、受験すらできなかった。学校でも最速で、翌年のスケジュールがないというね(笑)。

ショックでした。「オレって社会的にこんなに評価されないんだ」って。「試してさえもらえないんだな」って。茫然自失で悲しすぎて1週間ぐらいずっと寝てました。毎日20時間くらい(笑)。

そこから何かしなきゃってなって、近所の本屋さんで買い求めた哲学書とか生き方みたいなやつを、いっぱい読みました。ちょっと自分に酔っている、甘酸っぱい18歳の春でした……。

成功への気づき。“どれだけ短時間で結果を出すか”

その後大阪の予備校の寮に入りました。毎日朝から予備校に通うことができないダメ人間で、夏前には講義を受けることを放棄してしまいました。

学校には行かず寮に籠もって、結果を出すために自分で全ての参考書をセレクトして、勉強の仕方やスケジュールを組み立てました。決めてもらう、教えてもらうことを拒絶して、誰のせいにもできない状況にして、これで滑ったらもう後はないぞって覚悟を決めたんです

昼間寝て、夜起きての完全夜型生活でした。まわりの友達のように1日10時間以上の勉強はできなくて。集中力が短かい自覚があって、短時間で終わらせたかったから、分厚い参考書を避けて、薄いものを反復したんですが、これがハマりました。

最終的には結果がついてきて、翌年早稲田大学に合格。“どれだけ短時間で効率よく結果を出すか” “自己責任で結果の出し方を組み立てる”というスタイルは、このときが原点でした。

実は、この後に起こる出来事も、この“小さな成功体験”の反復でした。もちろん当時は、そんなことは全然思わなかったんですけどね。良かった、オレやっぱりやればできるじゃん。そんな可愛い19歳の春でした。

学生をしつつ、水商売の世界に飛び込む

19で上京して、最初の2か月は大学生っぽいことしたいなって新歓コンパに行きまくったんですけど、飽きちゃって。そこから、単純にお金がなかったのと、人間そのものへの興味、自分がどれくらいの生産性を持っているのか試したいなっていうのもあって、歌舞伎町で水商売を始めるんです。

少しモヤモヤした気持ちがあって。上京して、早稲田ってだけでちやほやする人が合コン行ったり、他大学と合同のサークルにいました。僕はずっとそこに違和感を感じていて。親にお金出してもらって、予備校の寮にも入れてもらって、自力で掴んだ成功じゃない。たまたま恵まれていただけじゃないかって。

そういうものを取っ払って、履歴書すら「いらないですよ」みたいな業界に行って、どれくらい自分が評価されるのか、通用するのか試してみたかったんです。

歌舞伎町の飲み屋さんで、結局2年ちょっと働きました。すごく刺激的で、良い経験になった。でも、そもそも全然適性はなかったんですよ。山の中で育ったほぼ童貞みたいな、恋愛経験もない、カッコいいわけでもなく、女性馴れもしていない、トークも面白くもない。そういうスペックからのスタートでした。

働いたお店はめちゃめちゃ体育会系で。人生賭けて飲み屋で働いている、“レジェンド”と言われるような先輩がいっぱいいて、すごく流行っている有名なお店でした。

誰も期待もしてくれませんでした。理不尽な暴力とかもあって。仕事中も後もボロカス言われました。最低限のマナー接遇は教えてもらったけど、あとは見て盗みなさいと。

悔しかったし、いつかこういう人たちに自分を認めさせたいと思い続けた日々でした。酔っ払って理不尽に殴る先輩をいつか追い越してやるってそういう気持ちで。この悔しさを忘れないぞって。

認めてもらうのに、わかりやすいのはやっぱり、集客や利益という結果ですよね。ひたすら結果を出すことにこだわりました。

先輩がどう売り上げているのか、ヘルプしながら仲良くなったお客様から直接聞いて勉強して。模倣して、徐々に自分のテイストを作ったり、面白くなるためにお笑いの理論本やDVDを反復して勉強して、流れで笑いが取れるようになって。1人じゃ複数のお客様の対応ができないから、応援してくれる後輩を育てました。

それで、なんとか結果は出せたんですね。自分に適性がない業界でも。

受験のとき、薄い参考書の反復という自分なりの最短距離での勉強法で結果を出したように、“努力の方向性”さえ間違えなければ、積み重ねれば結果は出せるという確信が持てました。

順大医学部に進学。そしてまた、再びの歌舞伎町

この後、僕は飲み屋で出会った医大生の「医者になりたかったって、舐めてんのか!」の一言から仕事も辞めて、大学も中退。半年間家に籠もって、また受験勉強をします。

そして運良く順大の医学部に入り、今度は学費や興味のあったバックパッカーとしての旅費を稼ぐために、またも歌舞伎町に舞い戻るんです。今度はスカウトマンとして(笑)。

一見、数奇に見えるかもしれませんが、 自分を客観視して身の丈に合った戦略を立てて“努力の方向性を間違えない” “結果を信じて積み重ねる”ということを実践しました。

原点になった小さな成功体験を活かし続けたんです。医大生をしながら、水商売の女の子をスカウトする会社で雇われ代表を務めるようになって、その後独立しました。

19歳以降は、頑張れば多少時間はかかれども結果がついてきた。望んだことを実現できた。でも独立して僕は、ここではじめて大きな挫折を経験します。

このスカウト会社、一度“崩壊”してしまうんですよ。

“悔い改める”――それぐらいの反省だった

当時の僕はもう大忙しでした。大学の講義はある。部活にも行く。長期休暇はバックパッカー。そのうえで事業、会社の代表をしていました(笑)。

とにかく効率良く手間をかけずに稼ぎたい。競合他社よりも魅力的なシステムをつくればヒトもお金も集まるだろうって。

こういう給料体系が良いとか、こうすれば半自動的に集客できるとか利益が拡大していくって、それのみを徹底追及していました。とにかく“どれだけ効率よく短時間に”を徹底していて、恥ずかしいことに、一緒に働いてくれるパートナーたちの人間性や将来について、しっかりと考えていませんでした。

ところが、組織のメーンのパートナーが「辞める」となったときに、たった1か月ぐらいの間に、3分の2ぐらいのスタッフがいなくなってしまったんです。文字通り、クモの子を散らすようにして。

つらかったですよ。要は仕事が楽しいとか、僕が好きで一緒に働いてくれていた人はいなかったってことですから。お金でしかついてきてくれていなかったんですね。他会社の条件チラつかせて、「辞める辞めない」の駆け引きもいっぱいされました。

それなりにちやほやしてくれたから、僕への気持ちもあると思っていたんですね。それが全然なくて、ちょっとピンチになったら駆け引きばかり……。

ただ、代表と言っても運を実力って勘違いしている20代で、すべて僕の落ち度だったんですね。当時の僕は、仕事ってお金が発生することで、部下とコミュニケーションを取る時間は、仕事において優先順位の低いことだと思っていたんです。システムだけつくっておけば回るだろうって。稼げればそれで人はついてくると思っていました。

勝手にわかってもらえているつもりでいたんです。あなたに対して愛情がありますよということだとか、組織にとって大切ですよということが。でも、コミュニケーションがないと、それは伝わらない。

たくさんの人が去って。まだそれなりの収入はあったけど、さびしい、つらい。「今のオレって孤独で不幸だなぁ」って、“悔い改める”それぐらいの反省をしました。必要とされたい。それが自分にとって本質的な原動力だったって気づきました。

やっぱり大事なんですよね。金銭的な待遇だけじゃなく、自分の所属する組織や人に愛情を持つということは。すぐに利益に結び付くことではなくても、一緒に仕事をするパートナーと“人として繋がっていく”ということって、とても本質的なことだなって気づきました。

そういう気持ちを持った人と仕事ができるようになるために、まず自分が変わろうって思いました。

そうなればピンチのときだって、弱みに付け込んで、掛け引きされるようなこともなくなる。この後僕は投資していたデリヘルを買い取って、代表になります。実は潰れかけていたんですが、赤字だけど真っ直ぐに頑張ってくれている人達がいた。

人を一番大切にしよう。自分が変わって、ずっと一緒に仕事がしたいって心から思ってくれるパートナーを育てていこう。そう決めてからの再出発、新しいチャレンジでした。赤字コンテンツのお店を潰さず、自分で引き受けてみたんです。

それが今の『贅沢なひと時』です。もう3年半以上前になりますか。

――“成功体験の反復”から、はじめての挫折。自ら悔い改めたと語る浅野代表は、この後赤字続きのデリヘルをどうやって立て直し、利益を上げる組織に変えていったのだろうか。続きは連載第二回で。

■連載第二回の記事を読む>>
「デリヘルの代表を選んだのは、“ひとの可能性”を信じたから」~高級デリヘル『贅沢なひと時』浅野代表#2~

(インタビュー:赤星アキラ)

浅野代表

兵庫県出身。愛媛県で育つ。早大進学のため19歳で上京。学費等のためにナイトワークで働きつつ、順大医学部への進学を志す。25歳の時にナイトレジャー業界で起業。その後、投資家として共同出資していた複数店のなかの一店舗を買い取り、27歳で医学部は中退。デリヘル『贅沢なひと時』の代表に就任した。その後店舗は高級店としてV字回復を達成。3年連続で四半期売上の更新を継続中。現在4期目。34歳。

執筆者プロフィール

赤星 アキラ

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元証券マン。リーマンショックを経て、ハタラクとジンセイをひたすら考え続ける。2015年春、縁あって風俗業界に転じ、FENIXプロジェクトを企画。Fenixzineを風俗でハタラク男性のプラットフォームにしていきたい。好きな音楽はV2。福岡市出身。

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