「ここへ、何のために。発展の礎となった、女の子の意識改革」~アインズグループ代表 北村一樹の冒険#2

2019年01月23日

by松坂 治良松坂 治良編集者・ライター

――かわいくないのが“普通”という常識に異を唱え、“誰が見てもキレイ”という豪華なキャスト陣で風俗の世界に乗り込んだ北村代表。しかしそこで『アインズグループ』が直面したのは、風俗にはびこる“普通”の、思わぬ強固さだった。

強気の価格設定。女の子にゼッタイの自信があった

前回も少し触れましたけど、アインズグループの中核『ブレンダ』がオープンしたのは2006年6月。僕、スタッフが1人、ドライバーが1人、掛け値なしにかわいい女の子11人でスタートしました。

マンションの一室?(笑) とんでもない。最初アパートです。家賃4万円の6畳のアパートに、中古のデスクが1つ、そして携帯電話。

でもね、僕にはゼッタイの自信がありました。

「こんな豪華なキャスト陣、誰も見たことがないだろう」

そう思ってましたからね。逆に言うと、だからこそ仮住まいのアパートが狭くてもボロくても、どうでも良いという気持ちだったんです。価格設定も、当時相場が60分1万5,000円だったのを、ブレンダは強気に1万7,000円としました。

ところが初月で女の子が11人から6人に減ってしまった。そう、鳴らなかったんですよ、電話。1日の出勤は3人、1人1本付いたら良い方でね。稼げなければ、女の子は離れます。

パネマジが“普通”。「お前のところもどうせ」の壁

結局ね、信用がなかったんですよ。僕が電話に出て、説明する。

「キャバクラと変わりませんから。ほんとにキレイな子です。裏切りませんから」

でも返ってくる答えはね、

「ウソなんちゃうん」

どこの店もパネルマジックで、実際とは違う女の子を載せたりしている。それが“普通”。中にはボッタクリ店まであったぐらいですよ。「ウチは違いますから」って、オープンしたてのお店がいくら叫んでもね、信用してくれない。

困り果ててね。部屋の後ろ振り返れば、この美女揃いのキャストですよ。悔しくて。もう僕、「私はウソは言いません」ていうボード持ってね、自分のオデコに免許証貼ってやったんですよ。

「……何してんすか社長。デコに免許証なんて」
「お前ちょっとオレのこと撮れ。これ持って立つから」
「はい?!」
「サイトに載せたんねん。これなら信用してくれるやろ」

「ダメっすダメっす」って、スタッフどころかドライバーにも必死に押さえ付けられてね。「どうしたのー?」って駆けつけて来た女の子にも止められて(笑)。

さすがに止しましたけど、逆に言うとそれぐらい危機的な状況で、同時にブレンダの女の子への自信は、揺らいでいなかったんです。

自宅待機の“普通”も変えた。「めんどくさい」との戦い

女の子が減った理由はもう1つあって。

2006年当時のデリバリーヘルスっていうのは、女の子は自宅待機で、ドライバーに迎えに来てもらうというのが“普通”だったんです。

乗ったら出勤。そのまま仕事に行って、仕事を終えたら車に戻って、売上をドライバーに渡してっていうかたちでした。出勤の最後にドライバーから給料をもらって、帰るという感じ。9割9分の女の子が、事務所に行ったことがなかったんじゃないかな。

ブレンダは違った。出勤のはじめに事務所に来てもらっていた。給料は僕らから渡したいし、コミュニケーションも取らなきゃいけないしってね。

当時ね、僕はぜんぶ指導していたんです。女の子の服装から髪型、化粧まですべて。でも、そういうのを嫌がる女の子たちが多かった。「めんどくさい」って。

なかなかキツかったですよ。採用基準も5分の1だったから、女の子の間で悪い評判も立ってね。

「ブレンダ言うたらなんや、採用もしてくれへん」
「あそこは一々、事務所まで行かなあかんねやろ?」
「セットまであーたらこーたらやで。客も来んのに」

でも僕は変えなかった。事務所に来てもらい続けた。確かに普通とは違うかもしれない。だけど普通と同じだったら、僕らが風俗をやる意味がないんです。女の子だって、風俗に来る理由がない。キャバクラでトップ張れる子たちですからね。

「わかってくれ。君たちは、何のためにここに来たんだ」

1万円を女の子に。話し続けるしかなかった苦難の日々

僕は毎日毎日話し続けました。「心配ない。やってることは間違ってないんやから」って。

でも0本の子さえいたんです。デリヘルで0本の店なんて、当時だってどこにもない。だけど2006年のブレンダにはあって……。

で、僕もなけなしの1万円を渡すんですよ。「すまん」て。僕の責任だと思ってましたから、頭を下げて。そしたらその子に泣かれてね。あの言葉、今でも思い出すと、胸が痛むな。

「ご飯食べられへんやん」

わかってくれていたのか! 女の子が戦友となった日

幸いだったのはね、それでも信じてくれる女の子が半分いたこと。少しずつ少しずつ、意識を変えていってくれた。結果も出てきた。

ところが1年経って、僕は1つ大きな失敗をしてしまうんです。1年間の赤字を、何とか取り返そうとしたんですね。“イチゴ割”と言って、60分1万7,000円の料金を、一時的に1万5,000円にした。

効果はないこともなかったんですよ。「1万7,000円でも安いな」と言ってくださるお客様までいて、「すぐに戻せるな」と思ったぐらい。その場の売上だけを考えたら、策としては間違っていなかったと思う。

でもね、気が付くと、女の子たちの表情が暗い。1人2人じゃないんです。毎日みんなが暗くて……。

ある日スーツの袖を引っ張られて、振り返ったらその時間の女の子が全員、思いつめた目で僕の顔を見つめているんですよ。「どうしたん? 何?」って聞いたら、その袖持っている子が言うんです。「何で割引なんかするん?」て。

「社長が言うたんやんか。誇り持てって。お前ら安ないねんぞって」

ハッとしたって、こういう時に使うんでしょうね。「すまん」てまた、今度は僕が泣きそうになって。

申し訳ないだけじゃないんですよ。「わかってくれてたんや」って、嬉しくて。いつの間にか女の子たちは、僕の考えをすべて理解し、実行しようとしてくれていた。いや、すでにしていたんです。代表の僕だけが、気付いていなかった。

「大丈夫なんや。ブレンダは、もう大丈夫なんや」

確信を持てた瞬間でした。我々の快進撃は、まさにこの日からはじまったんです。

この時の女の子達とはね、一般に就職したり、結婚して家庭を持っていたりするけれど、12年経った今でも交流がありますよ。忘れずにいてくれてるし、僕も1人ひとりをゼッタイに忘れない。アインズグループのいちばん苦しい時を支え、発展の礎を築いてくれた、戦友なんです。

“風俗でそこまでしなくても”。アインズが壊した“普通”

こうなったらね、正直“後は売るだけ”です。だけどここまで意識を変えてくれた女の子たちに、一刻も早く報いてやりたいじゃないですか。

だから僕は、お客様に徹底的に“リサーチ”しました。どうやったか?(笑) 電話です電話。女の子が部屋を出て、ドライバーに合流したら、お客様に電話したんです。

「今日はありがとうございました。受付の北村でございます。女の子の接客は、いかがでしたか?」

もちろん嫌がる方もおられました。たくさんおられました。ただその中で、お客様から色んな情報を得られたんですね。

アドバイスだけじゃないです。クレームもあった。でもね、僕はこう考えたんですよ。

「クレームを言うお客様こそ、宝だ」

そうして丁寧に丁寧に接客している内にね、自分の顧客が、北村一樹の顧客がどんどん付くようになったんです。

やがて怒られることよりも、褒めらることの方が多くなっていった。少しずつ少しずつで赤字を返し、2店舗目を出すという時には、もうお叱りはなくなっていました。

電話もね、「北村君おる?」とか、「ええ子入ったら言ってや」とかね。口コミの力も本当に大きかった。「良い店知ったわ」ということでご紹介いただいたり、出張中の方からもよく電話をいただきました。

「あ、連れから聞いたんですが、北村君います?」
「はい! ありがとうございます! 北村は自分です」
「〇〇から聞いて……」
「そうでしたか! ありがとうございます。〇〇様にはいつもお世話になって」

僕は何も特別なことなんてしていません。最高の女の子が最高の仕事をしてくれているブレンダ。だから僕もそれに思いっきり応えて、最高の接客をしただけです。“風俗はそこまでしなくていい”という普通を、僕らは壊していたんだと思います。

「北村君はオレが育てたる」。そして、拡大の時へ

気が付くと、僕の周りには応援してくれる方がいっぱいいました。僕が26、7歳だったっていうのも大きかったんでしょう。「北村君はオレが育てたる」なんて、よく言われたもんです。方々で宴席にも呼ばれるようになってね。名刺をいただいて、「こんなに偉い方だったんや!」なんて恐縮することもあって……。

おかげさまで売上は右肩上がりになりました。スタッフも増えて、この後ブレンダだけではなく、『キュート』『Skawaii(エスカワ)』と、たくさんのお店が生まれたんです。

“個人商店”から“企業”へ。成長の先に、待っていた壁

そしてグループ名を『アインズ(eins)』としたのが……2011年のことですね。ドイツ語で1つのとか、1番のっていう意味があるんです。「飛ぶ鳥を落とす勢い」なんて言われた頃ですよ。1店舗ではじめた個人商店が、企業へと変貌を遂げた。いちばんの感謝は、やっぱり女の子かな。

ただね、僕のこのやり方で良かったのは“企業になるまで”でした。ずっとこれでは行かないんですよ。ほんとに難しいですねえ、商売っていうのは(笑)。

――「他に負けない。やっていることは間違っていない」 信念を持って風俗に挑み、まず女の子の“意識”を変えた北村代表。苦難の時を乗り越え、大躍進を遂げたが、待っていたのは新たな壁だったという。

“壁”とは何なのか、アインズは北村代表は、どうやってそれを乗り越えたのか……。次回、最終回で明らかに。

(インタビュー:新海亨)

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「終わらない旅。“普通”に挑み続けたグループの舞台は、遂に全国へ」~アインズグループ代表 北村一樹の冒険#3

北村 一樹(きたむら かずき)

大阪府堺市出身。風俗業界歴は13年を数える。18歳で水商売の世界に飛び込み、20歳で早くも店長に。2006年に風俗業界に身を転じると、代表として『ブレンダ』を中心に高級店を次々と成功させ、アインズを関西で押しも押されぬ大グループに成長させる。含蓄のあるツイートにはファンが多く、フォロワー数は1万6千人を超える。趣味はピアノで、目覚めには必ず鍵盤に向かう。

執筆者プロフィール

松坂 治良

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小さな出版社などを経て、”誠実に求人広告をつくろう“という姿勢に惹かれ、現職に就く。数年来クラシック音楽と仏教に傾倒中で、最近打たれた言葉は「芸者商売 仏の位 花と線香で 日をおくる(猷禅玄達)」。……向き合った相手の“人となり”や思いを、きちんと言葉にしたいと願う、今日このごろです。

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