「いつも結果で応えてきた。だからみんな、信じてくれた」~走り続ける男。ミクシーグループ 佐藤代表#3

2019年03月28日

by松坂 治良松坂 治良編集者・ライター

――全国31店舗を誇る『ミクシーグループ』。2001年、札幌エリアの店舗に入店後、わずか4か月で異動。『教えてっ先生!!』の店長に抜擢されたのが、現在全エリアの代表取締役を務める佐藤氏だ。

まだ25歳という年齢で、いきなりの役職。スタッフとキャストは、付いてきたのだろうか?

売上が最低の店舗。何から手を付けたのか

2001年の7月1日に店長になった時、『教えてっ先生!!』の売上は、グループで最下位だったんだ。これを何とかするのが、まず僕に与えられた課題だった。

何をしたかって言ったら、もうやることはわかってたんだ。スタッフにはこう言った。

「お客様にウソを言うな!」

30分待ちはどうがんばったって30分待ちなんだ。15分と言って客を入れるな。お客様好みの子、いない時はいないんだ。そこで無理矢理入れたら、そのお客様はもう来なくなっちゃうんだよ。

「じゃあ、どうすれば良いんですか?」

若い子は言うよな。言うぐらい生意気でちょうど良いんだ。僕だって「ヨソから来た4か月目がエラそうに」って、思われてたはずだよ。だから、「とりあえず僕のやり方見てて」って言ったわけ。

で、前回話したよね。ウソをつかず、それでもお客様に入ってもらえる僕の接客を、見せた。

みんな驚いてたよ。1人おもしろいスタッフがいてさ。何て言ったと思う?

「あんな正直に伝えちゃって、良いんですね」

笑っちゃうだろう?(笑) 僕も聞いたときは、腹抱えて笑ったよ。それからみんな、半信半疑で同じ接客をするようになった。僕も最初は、横でチャチャ入れたりなんかしてさ。

コツがわかるようになると、みんな楽しそうに仕事するようになったよ。

「なんか気持ち良いっすね」

何で気持ち良いかって、単純だよね。正直にやってるからさ。やましくないの。僕達もお客様も、両方が気持ち良くなきゃ、お店は繁盛しないんだ。

グループ最下位⇒首位。結果が出れば、人は付いてくる

女の子に言ったことも、ボーイだった時と一緒。笑顔から接客から、ぜんぶアドバイス。1本1本お客様に聞いて、女の子に伝えてミニ反省会。その繰り返しさ。反発も一緒(笑)。

「何で新米店長のあんたに」

でも、伝える。わかる、それはわかるけど「ここの売上、グループ最下位だぜ。すすきの駅から4分のここがなくなったら、みんなだって困るじゃん」て。

毎日ギャンギャン戦いながら、やっぱり結果が出ると、みんな付いてきてくれるようになるんだ。その年の12月、ミクシーグループで一番売上が良かったのは、どこだと思う?

ウチさ。『教えてっ先生!!』が、最下位から1位に躍り出たの。

「佐藤、助けてくれ」。札幌 ⇔ 横浜と、往復した日々

こうなると、上が黙っちゃいなかった。「こいつ、使える」と思ったんだな。

翌2002年には『教えてっ先生!!』と『札幌淫行茶屋』の2店舗を見るようになった。2003年には札幌全店を統括。2004年の半ばには、札幌全店の社長。まあ目まぐるしいっちゃ目まぐるしいよね。……28歳だったかな。

30歳になった時、札幌の社長をしつつ、横浜エリアの統括部長をしてくれと言われた。もう何年も、横浜はうまく行ってなかったんだね。僕が行く前にも、売上不振を打開しようと、同じ横浜エリアから統括を出してたんだけど、何回交代してもダメだった。

2006年と言ったら、ミクシーもできて17年くらい経ったころだよね。派閥ができちゃって、本人たちにそのつもりはないんだけど、どうしてもお互いを守っちゃうし、足を引っ張り合っちゃうし、みたいになってたんだね。

で、札幌で社長をしていた僕に、白羽の矢が立ったわけさ。当時の横浜エリアの社長が、僕に頭を下げてくれた。

「佐藤、横浜を助けてくれ」

不安は相変わらずさ。いつだって不安。でも、僕は頼まれたら断らない。断ったことがないんだ。

先輩の社長が助けてくれって言ってる。札幌と横浜を行ったり来たりでたいへんなんて、向こうも十分わかってるさ。それでも僕が必要ってことは、それくらいグループがピンチってことだよね。

断る理由は、ないよな。断れないよ。「僕で荒療治したいなら、やってやろうじゃないか」って、そんな気分だったよ。

「何で、お前なんだ」。30歳、反発は覚悟の上だった

横浜の連中は、そりゃあびっくりしてたさ。文字通り口あんぐりって感じだったよ。

「札幌エリアの社長の佐藤君です! 横浜全店の統括もしていただくことになりました!」

ミクシー創業からいる人間にとっちゃ、僕は外様だ。しかも別エリアの社長。おまけに30歳の若造と来た。

「何でこいつが?」

思わない方がおかしい。でも、それが良かったんだな。今までぐじゃぐじゃやってたのが、いかにマズいことだったか、それだけで気づいたと思う。

遂に知らない若造が来た。言うこと聞かざるを得ないんだ。

「同じことをやってくれ」。自分が来た意味

僕は何をしたか?(笑) いつもと一緒。

フロントに立った。そして、お客様にウソをつかない接客をした。

女の子を呼んだ。そして、笑顔、接客から指導した。

で、「同じようにやってみてくれ」って言ったんだ。横浜の地域性? 関係ない。だって、札幌の男と横浜の男で、ヘルスへの期待に差があるかい? 横浜の女の子は、他の地域より性格が悪いのか?

一緒さ。同じことをやれば良い。だからこそ僕は、呼ばれたんだ。

ただ、横浜ではもう1つだけ問題があった。そう、派閥。当時みんな、本当に仲が悪かった(笑)。

共通の“敵”で連帯感を生み、そして繰り返す

仕事中や店長会議で、頭ごなしに「仲良くしろよ」なんて、僕はやらなかった。だって、僕とだってまだ仲が良くないんだから(笑)。

考えて、エリアでも店舗と同じことをしてみようと思ったんだ。まず、例えば『横浜平成女学園』の店長を、飲み屋に呼ぶんだ。「ちょっと2人で話そう」って。

そして時間差で同じ席に『ふじこちゃん』の店長も来るようにしておくわけ。お互いには、お互いが来ること知らせずにね。

で、「あ」ってお互い気まずそうにしてるところを座らせて、聞くわけ。

「2人、仲悪いんだって?」

この時悪者は誰かっていうと、僕なんだ。「まったく何だよあの統括。知ってんならさあ」ってなるわけ。それで良いの。“共通のイヤなやつ、佐藤”

それができた中で、「何が気に入らないんだよ。助け合わないとさ」って言って、話させる。これを繰り返すんだ。

「今夜サシで飲もうよ」
「……佐藤さんウソばっかり。どうせまた〇〇さんも来るんでしょう?」

そのうち軽口も言い合えるようになって、みんなの仲だって良くなっていった。競争も大事だけど、協力もないとグループはやっていけないからね。

1年で、売上160%超え。忘年会で、思わず言ったこと

協力し合えれば、「良い子いないなあ」ってお客様に言われた時に、「でしたら『ホワイトハウス』の方に行ってみませんか?」って、グループの別の店舗を紹介できるだろう。

面接に来た女の子だって「良い子なんだけど、ウチじゃ浮くかなあ。でも、『人妻日記』ならどうかな。イケんじゃないかな」って、連絡できるじゃない。

これぜんぶ、同じビルや近所にお店がある店舗型の強みだし、グループ店の利点なんだよ。この利点は、どうやったら活かせる?

みんなの仲が良いと、活かせるのさ。ケンカしてる場合じゃない。

僕が初めて横浜に来たのが、2006年の12月20日。寒い日だった。翌2007年7月の横浜エリアの売上は150%増、8月も150%増、丸1年経った12月は160%を超えた。

嬉しかった? いや、ホッとしたが正解かな(笑)。さすがの僕も、ちょっと疲れたって思ったもんな。忘年会で横浜のみんなに言ったの、よく覚えてるよ。

「……ったく、みんな世話が焼けるよ」

デリヘルには良さがある。店舗型にも良さがある

その時にはもう、札幌と横浜の社長をしていた。で、2011年かな? 35歳で、札幌、横浜、東京、全エリアの代表取締役になったってわけさ。

ずっと同じ調子で来た気がするよ。お客様にウソつくな、女の子には誠実に、それだけで。他のところは僕の方針で、企画から何から、スタッフの好きなようにさせてるからね。

そうねえ、この間確かに、デリヘルは伸びたよね。客も取られたと言えば取られたのかもしれないけど……。うーん、僕は実は、デリヘルはデリヘルで、あって良いと思ってるんだよね。例えば店舗型だと、終電前には閉まっちゃうわけじゃない?

そすうると、横浜に出張に来たお客様は、やっと仕事が終わって「さあ」ってなった時に、店舗型だけだときっと困るよね。デリヘルって、ありがたいんじゃないかと思うよ。単純に。

ただ店舗型の良さっていうのもやっぱりあって、例えば会社の飲み会なんかあってさ、団体でウチの『人妻ゲッチュー』に来たとするじゃない?

で、フロントで案内している時に、表情見ていて「あれ?」って思うことがあるのね。どうも、楽しそうじゃない男性がいる。

「ね。お客さん、もしかして、人妻系はイヤなんじゃないの?」

僕が聞くと、「え?」なんて、上司らしき人がその男性を振り返ったりしてさ。

「そんなことないよなあ?」
「いえ、実は僕……」
「何だよ。そうなの? 早く言えば良いのに」
「いやいやいや、お客さん、部下はそれ言えないですって」

それで僕が間に入ってさ、若い子のいる『平成クリニック』の写真持ってきてあげるわけ。何せ同じビルにあるんだからさ。

そしたらこの男性は、またミクシーに来ようって思ってくれるじゃない? 表情が見れる店舗型の良さ、そして隣近所に色んな店があるグループの利点だよね。

お客様を、笑顔に。今日も僕は、あの場所に

今、デリヘルの人たちだって、店舗型と争おうなんて考えてないと思うよ。むしろ、風俗以外との戦いになるんじゃないかな、これからは。

そこでどうやって生き残るかって言ったら、やっぱり僕は“ウソつかずに誠実に”っていうのと、さっきの団体さんじゃないけど、ミクシーの楽しさ、おもしろさだよね。

ウチらとしてはどの世代も楽しめるように店舗展開しているつもりだし、お客様の表情は、プロとして見逃さないから。自分の楽しさって言えば良いかな、ミクシーではそれを追求してもらえると思うんだ。歳を重ねて、嗜好が変わることだってあるしね。

こっちとしては、お客様に“笑顔で帰ってほしい”っていう思いが、変わらずにある。リピートがあれば、女の子だって僕らだって、助かるわけだしね。

まだ現場に立つんですね?(笑) もちろん、立たなくなる日なんて、当分来ないよ。20歳の時からずっと、僕のいちばん好きな場所なんだから。

お2人が帰ったら、また現場だよ。……今日はもういいんだろう? 遊んでいくかい?

よかったら、僕が君たちを案内するよ。

――「ミクシーの代表取締役に、女の子案内していただいたの?!」

取材した新海に聞くと、即座に「してない! 恐れ多い!」との返答。でも、きっとこの気さくさが、途中から入ったミクシーグループで、代表取締役にまで登りつめた秘訣なのだろう。

お客様、女の子、スタッフ。みんなの人心を掌握する背後にあったのは、常に“ウソをつくな”の誠実さ。思いが表情に出る人だから、しっかり伝わってくる。

大工だった20歳の青年も、今や43歳。だが驚くのはむしろ、“まだ43歳”ということだろう。“総帥”として全店の指揮を任された時、彼は35歳だったのだ。

雪を嫌い、選んだこの世界で、仕事も役職も、一度として拒まなかった佐藤代表。

彼はきっと、今日も現場に立つ。

(インタビュー:新海亨)

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「一生これが、続くのか。20歳。空からの雪が、背中を押した」~走り続ける男。ミクシーグループ 佐藤代表#1

ミクシーグループ代表 佐藤

北海道出身。風俗業界歴は23年。20歳で店舗型ヘルスの店長を務め、25歳でミクシーグループに入社。わずか4か月で店長に就任し、その1年半後には札幌エリアのマネージャーとなる。要職を歴任後、2011年、35歳でミクシーグループ全エリアを統括する代表取締役に就任。気さくな人柄で交友範囲は幅広い。楽しみは従業員との飲み会。未だに新入社員とも食事に行くという。

 

執筆者プロフィール

松坂 治良

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小さな出版社などを経て、”誠実に求人広告をつくろう“という姿勢に惹かれ、現職に就く。数年来クラシック音楽と仏教に傾倒中で、最近打たれた言葉は「芸者商売 仏の位 花と線香で 日をおくる(猷禅玄達)」。……向き合った相手の“人となり”や思いを、きちんと言葉にしたいと願う、今日このごろです。

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