どうしても、踊りたかった 総務・人事の宇佐美さん(シンデレラFCグループ)前編~ナイトワーク『ピックアップ スタッフ』~

2025年07月22日

by松坂 治良松坂 治良編集者・ライター

――40を数えるブランド。3,000人を超えるキャスト在籍数……。

シンデレラFCグループ』の規模は、この数字から明らかだろう。デリヘルを中心に1都2県で店舗展開。創業は2003年で、20年以上の歴史を誇っている。

この“大組織”で総務・人事を務めるのが、今回お話を伺う宇佐美鉄二さん(46)。写真からわかるように、柔和な紳士。実直な人柄が伝わってくるようで、“窓口”としてはまさに最適な人選に思える。

ところが彼の“経歴”は意外にもドラマチック。10歳から12歳までアメリカで過ごしたのを皮切りに、大学は名門の早稲田。エリートコースを歩むのかと思いきや、21歳で中退してしまうのだ。

「プロのダンサーになりたい」

理由もまた、予想外。この先で宇佐美青年は、どんな20代を過ごしたのだろう。

“人見知り”の帰国子女。中高大は、いずれも“名門校”

生まれは愛知県ですが、小学校3年生から6年生まで、アメリカで暮らしていました。父が金属系の会社に勤めていて、その仕事の関係ですね。

そんなカッコいい都会とかじゃなくて(笑)、イリノイ州のリスやウサギがいるようなのんびりした郊外。日本人学校に少し通った後、兄が「現地校に行く!」というので、私もよくわからないままについていっちゃいました。

幸い英語ができない子向けのバイリンガルクラスがあったので、そこで勉強しながら少しずつ現地に慣れていった感じですね。

ただ私、えぐいほど“人見知り”だったんですよ。なのでヒアリングと読み書きはできても、話すのは苦手でした。

12歳で帰国後は千葉へ。中学は千葉大学教育学部の附属⇒高校は早稲田大学高等学院⇒やがて早稲田大学に進学しました。

社交ダンスとの出会い。表現の喜び。注目を浴びる快感

そのまま大企業とかに入っちゃいそうですよね(笑)。でもおもしろいもので、大学で人生を大きく変えるような出会いがありました。社交ダンスです。

新入生歓迎で顔を出したサークルの居心地が良くて、なんとなく練習に参加。なのに夏合宿を終えて初めて出た大会で、いきなり決勝まで残っちゃいました。

“ハマっちゃった”んですね。それもドハマり。

引っ込み思案の人見知りだったからこそ、ダンスで“自分を表現できる”ことや、注目を浴びる快感がたまらなかった。

「プロになる」  そう決めたらもう止まりません。大学は4年間在籍したものの、後半はほとんど行かずじまい。早稲田を辞めることの重みなんて、当時のアホな自分にはわかりませんでした。

プロの世界へ。決意と“ダンス教室”のギャップに苦しむ

プロのダンサーとして生きていく。決意は固かったんですが、現実は甘くありません。

競技者として生活するためには、ふだんはダンススクールで教える必要があります。だけど教室に来る“おばさまやおじさま”の目的は、健康や趣味で体を動かすことであったり、おしゃべりであったり……。

「うまくならなきゃ意味がない」と思い込んでいた私には、生徒さん達に何を教えればいいのか、どころか、どう接すればいいのかさえわからなかったんです。

そうこうするうちにダンスパートナーとの人間関係もこじれ、プライベートも仕事ももうぐちゃぐちゃ(笑)。結局プロの世界には1年もいられませんでした。

「死んじゃえば?」が普通。“超”が付くブラック企業へ

プロを辞めてからは半年ほどニート。女の子の家に転がり込んで、優しさに甘えるような日々でした。「このままじゃダメだ」と一念発起したのが、24歳だったかな?

“一番厳しい環境で自分を鍛え直そう”と、あえて“超ブラック企業”に入社しました。想像超えてきましたけどね(笑)。「お前もう死んでくれない?」なんて言葉が、日常で普通に出る職場でした。

最初はプリンター複合機の営業。ひたすら電話をかけまくるんですが、まあアポなんて取れない。厳しくてツラくて、数か月後朝歯を磨いていたら、何も考えていないのに涙がボロボロ頬を伝いました。母が「もう辞めなさい!」と心配しちゃって(笑)。

ここで私がツイていたのは、会社に相談したら携帯販売の部署に異動させてもらえたんです。

移ってみると、みんなで「どうやったら目標達成できる?」とポジティブに話し合える雰囲気があって、すごく楽しかった。“チームで動く感覚”が心地よくて、最終的には東海エリアのマネージャーになったほどでした。

居眠り事故を起こすほど激務。その後は転職が続き……

ただ仕事は激務でした。睡眠時間は2、3時間で、休みもなし。運転中に居眠りしてガードレールにぶつかることなんかもあって、「これはまずい」と。社内の不公平な人事にも嫌気がさして、2年ほどで退職しました。

その後は色々です。安定を求めて電気系の専門商社に入ったり、結婚相談所で運営をやったり、ライブチャットのプロダクションで、女の子の面接やメンタル管理なんかを2年ほどやりました。

でもそこがヤバいところで。ある日オフィスに出勤したら、社長が不正かなんかやらかしたらしくて、丸坊主にされていたんですよ(笑)。「こりゃ辞めなきゃだな」と。

事実退職しようとしたら散々です。自宅の前で、黒塗りの車に乗ったコワいお兄さんが待ち伏せしていて……。

「ちょっと話そうか」

部屋で「わかってるの?」って、何時間も脅しですよ。思い出してもキツい体験でした。

――情熱のままにエリート街道からドロップアウト。もがきながらも自分の道を必死に模索し続けたのが、20代の宇佐美さんと言えるだろう。

そんな彼がなぜこの業界へ? 『シンデレラFC』へ? 店舗のスタッフじゃなくて総務・人事?……数々の疑問の答えは、次回の中編で明かされる。

執筆者プロフィール

松坂 治良

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小さな出版社などを経て、”誠実に求人広告をつくろう“という姿勢に惹かれ、現職に就く。数年来クラシック音楽と仏教に傾倒中で、最近打たれた言葉は「芸者商売 仏の位 花と線香で 日をおくる(猷禅玄達)」。……向き合った相手の“人となり”や思いを、きちんと言葉にしたいと願う、今日このごろです。

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