「一生これが、続くのか。20歳。空からの雪が、背中を押した」~走り続ける男。ミクシーグループ 佐藤代表#1

2019年03月14日

by松坂 治良松坂 治良編集者・ライター

――『ミクシーグループ』は創業から31年目。元号の変わった1989年に誕生し、平成とともに時代を歩んだ、業界の一大勢力だ。

もともとはスタッフインタビュー『VOICE』の取材のつもりで、横浜の旗艦ブランド『平成女学園』を訪れた弊社の新海と徳山。

「お忙しいところを。よくぞおいでくださいました」

右手を差し出し、出迎えてくれたのは、風格を備えた、紳士としか言いようのない人物だった。

(何かおかしい)

咄嗟にそう感じた新海は、交換した名刺を目にして、文字通り仰天する。気さくな笑顔でそこに立つ人物は、誰あろう、代表取締役の佐藤氏(43)だったのだ。

東京、横浜、そして札幌にまでグループを展開し、店舗型ヘルスとして、いずれの土地でも不動の人気を獲得したミクシー。その歴史ある全国31店舗を束ねる“総帥”のインタビューを『VOICE』の1回で終わらせられるだろうか。

今回の『私のリレキショ』は、波乱から始まる……。

もとは、北海道の大工。学歴なんてない

どうする? 僕でいいのかな?

返って迷惑かけちゃったみたいだね(笑)。『VOICE』でも『Fenixzine』でも、それは君たちの都合だから。僕はどちらでも構わないよ。

まあせっかくだから、お茶でも飲んでいったら?(笑)

……迷惑だなんて、とんでもない。ありがたいよ。君たちみたいな若い2人に、思い出話の機会をくれたんだからね。何でも聞いて、役に立ててくれたら良いさ。

僕はもともと、北海道で大工をしていた。学歴なんてないよ。中学を出てすぐ、働きだしたんだから。

そんな僕でも、自分で言ったらアレだけど、35歳で、30店舗以上あるミクシーグループの代表取締役になれたんだ。

僕だからなれたのか? そんなことはない。誰だってなれる。僕はそう思ってるよ。

ただ、そうなれたのには、やっぱり理由があるんだ。その話をしてみようか。

中学時代は不良。でも、弱い者イジメなんかしなかった

えっと、このまま砕けた感じで話して良いのかな? 僕はどちらでも……。

わかった。君たちがそう言うなら、このままで行こう。ただお昼だし、このインタビューだって、大切な仕事だと僕は思ってる。だからお酒は出せないけど、そこは我慢してくれよな(笑)。

子供の頃どんなだったかって聞かれたら、まあ不良だよね。ただ、手はそんなに掛からなかったと思うよ。法に触れるようなことは一切しなかったから。

シンナー吸ったりバイクかっぱらったり、いじめやリンチなんて、もってのほかだよね。むしろそういうのは、止めに入った方じゃないかな。

要は突っ張ってたんだよな。当時詰襟の、こんな裾の伸びた長ランていう学生服着てさ。タイマンて、今も使う? 一対一のケンカをよくした。それはもう先輩も同級生もなかったよね。

どんな場面でも、自分が1番でいたいっていう気持ちは強かったと思う。学校行事でも何でも、イベントがあれば常に仕切りたがったしね。

逆に言うと、目標があると燃える性格だったんだろうね。やっていることでも与えられたことでも、何でも。

単純に早く稼ぎたかった。出世も早かった。でも……

だけど中学校を出てすぐに働きはじめたのは、勉強ができなかったからでも、素行が悪かったからでもないよ。単純に、早く稼ぎたかったのさ。高校の3年間を待てなかった。

根性だってそれなりにあったと思う。16歳で始めて、20歳まで大工をしたからね。

大工の仕事も、すごく楽しかったんだよ。現場で切って、「あれ取ってこれ取って」と声掛け合って、組み立てる。“指示されたいよりは指示したい性格”っていうのも、中学校の時から変わらないからさ。トントントントン出世したんだ。

ただねえ……。これはもう、北海道で生まれ育った人ならわかってもらえると思うんだけど、雪が降るんだよね、あの土地は。

寒い。冷たい。でもだからって中で仕事できるか、その間休めるかって言ったら、そんな訳に行かない。

のこぎりでギコギコ材木切りながら、ふと空から降ってくる雪を見上げてさ、やっぱり思うんだよね。

「これ、一生はイヤだなあ」

それで、夜の仕事に就こうと思って、ホストクラブに面接に行ったんだ。

理由?(笑) 今じゃ面影もないだろうけど、当時は僕、女の子にモテたんだよ。それは20歳にしちゃお金持ってたっていうのもあるだろうけど、それだけじゃない。

何て言うのかな、僕は女の子といると、わりと楽しかった。向こうも楽しそうにしてたんだ。お互いがいる空間を楽しくするのが、僕は好きだし、得意だったんだろうね。だから、それを商売にしちゃおうと思ったの。

大工で50万円稼げるなら、それで良いと言えるか

23年前、北海道にはけっこうホストクラブがたくさんあったんだよ。そこの一番儲かってそうなところに電話して、すぐ会ってもらったわけ。でも思ったのは「こんなもん、やってられるか」ってことだった。

「客掴んだら、月100万円でも1千万円でも取れるようになるから」
「へー。いいですね。最初は?」
「初任給は、12万5千円」
「ええっ?!」

当時、僕の大工の給料って、月45万円とか50万円だよ。たくさん現場こなして、仕事もできたからね。

それをいきなり4分の1とかに落とせないよな。だいたい車が2台あったしさ。それさえ維持できないじゃん。

事情話したら、今思うと、その面接官も良い人だよな。こう言うんだ。

「大工でそんなに稼げるなら、大工で良いんじゃないの? まだ20歳で、からだも動くだろう?」

グラッと来たか? いや、来ない。だって、動くからこそだろう。人生は続くんだからさ。動くうちに、動かなくなった時のこと考えなきゃ、遅いんだよ。

「さて、どうする?」となって、じゃあ自分がプレイヤーではいきなりは稼げないんだなと思ったから、今度はヘルスのスタッフ求人に応募したわけ。そこは、大きくはないけど、当時7店ぐらい運営してたかな。

店舗型かって?(笑) 店舗型かも何も、当時はまだデリヘルなんてないさ。デリヘルはできてまだ、20年ぐらいじゃないかな。

そこで5年間、苦労という苦労は感じなかった。何せ暖かったしね(笑)。ただまあ問題はあった。というか、問題に気づいたら、いられなくなっちゃったな。馬鹿馬鹿しくなっちゃってね。

――中学を出て、大工に。20歳で人から見れば十分な収入を得、車も2台……。

それでも「僕はモテたし」という自信だけで、葛藤もなく夜の仕事へと足を踏み出した佐藤代表。言葉通り、5年間きっちり勤め上げたと言う。

その5年をくつがえした“問題”とは何だったのか。そして佐藤代表はいつ、ミクシーグループに入社したのか。続きは連載第2回で

(インタビュー:新海亨)

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「お客様にも女の子にも、誠実に。体当たりの仕事が、道を開いた」~走り続ける男。ミクシーグループ 佐藤代表#2

ミクシーグループ代表 佐藤

北海道出身。風俗業界歴は23年。20歳で店舗型ヘルスの店長を務め、25歳でミクシーグループに入社。わずか4か月で店長に就任し、その1年半後には札幌エリアのマネージャーとなる。要職を歴任後、2011年、35歳でミクシーグループ全エリアを統括する代表取締役に就任。気さくな人柄で交友範囲は幅広い。楽しみは従業員との飲み会。未だに新入社員とも食事に行くという。

執筆者プロフィール

松坂 治良

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小さな出版社などを経て、”誠実に求人広告をつくろう“という姿勢に惹かれ、現職に就く。数年来クラシック音楽と仏教に傾倒中で、最近打たれた言葉は「芸者商売 仏の位 花と線香で 日をおくる(猷禅玄達)」。……向き合った相手の“人となり”や思いを、きちんと言葉にしたいと願う、今日このごろです。

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