“開き直り”からの『ちゃんこFC』全国展開。“思いつけた”のはどうしてか~ちゃんこFCグループ代表 渡辺高之 #02

2020年09月10日

by松坂 治良松坂 治良編集者・ライター

――取材相手としていていちばん困るのは、“けっこうスゴい人なのに、自分では全然そう思っていない人”だろう。

ぽっちゃり専門デリヘル『ちゃんこ』を全国に59店舗FC展開しているのだから、単純に“スゴい”と思うのだが、渡辺代表は首を傾げるばかりだ。

「みんなが代表みたいにできるわけじゃないですよね?」
「できますよ。だからフランチャイズ化したんです」
「……えっと、そういうことじゃなくてですね」

予定にはなかったが、代表の半生を探ってみることにした。なぜ“みんなができる”仕組みを思いつけたのか。そこを知りたかったのだ。

中学校は、進学校。なぜ“夜の世界”に飛び込んだのか

出身は愛知県です。業界自体は何年になるんだろう? 13年、4年ぐらいになるのかな。

学生時代?(笑)。僕は16歳で高校を中退してますから、学生時代はほぼないでんす。後にそのまま水商売に進んだ感じですね。

兄貴が先に夜の世界にいて、羽振りが良いのをずっと目にしていたんですよ。子ども心に「いいな」って。

実は中学校は進学校だったんですけどね。両親が離婚しちゃって、母から常々「ウチはお金ないよ」というのを聞かされていたんです。

金銭の苦労を重ねながら高校⇒大学というレールに乗るより、早く世に出て稼ぎたいという思いの方が、強くなっちゃって……。兄貴がまた僕に似て明るい性格で、楽しそうに働いているのもずっと見てましたしね。

水商売は自分に合っていた。でも、成人を迎えた時……

実際仕事は楽しかったですよ。稼げたし、何か問題があったわけでもないです。ただ21歳の時に、ふと考えちゃったんですよね。「この先どうするんだ?」って。

成人式からも1年。このままずっと愛知で水商売をしていて良いのかと思うと、急に不安になりました。きっと心のどこかで“辞め時”も考えていたんだと思います。貯金もあったんで、思い切って上京したんです。

「何かやってみよう」

「デリヘルはどうだろう?」 新橋での成功と、風営法

「何か」と言いつつ、実はもうその頃から「デリヘルはどうだろう?」というのは考えていたんですけどね(笑)。愛知時代に人がやっているのをなんとなく眺めていて、「できるんじゃないかな」と。

それからは業務を学ぶために、デリヘルドライバーを1日体験してみたり、ピンサロの店員を1か月やってみたり……。

で、23歳の時に新橋でホテヘルを開業したんですが、これがいきなり当たりました。確かに内勤修行をほぼすっ飛ばしての経営だったんですが、僕には水商売仕込みの話術があって、それが幸いしたんです。

今の若い子は知らないでしょうけど、風俗案内所って当時はもっといっぱいありました。しかも店員がそこにいても良かったんですね。僕はもう毎日入り浸りでお客様とのトークを繰り広げたわけです(笑)。

ただ残念なことに、2005年に風営法が改正されちゃうんですね。ホテヘルは24時間営業ができなくなっちゃったし、僕らが案内所に入ることも禁じられてしまいました。

つまり僕は武器を奪われてしまったんですよ。これは少なからず痛手でした。

「落ちる時って早いな」は間違い。ものごとには“理由”

その後は何をしてもうまくいきません。2008年のリーマンショックで、世の景気自体が落ち込んだのもありますけど、それだけが原因じゃないです。

例えば友人と渋谷にデリヘルを出してみたんですが、新橋と違って先に大手さんがたくさんいらして、太刀打ちできなかったんです。

実はこれが後に、『ちゃんこ』の戦略“競合の少ない地方への出店”という発想に繋がるんですが、この時はとてもそこまで思い至りません。新橋との差、他店との差に、正直「こんなにも違うのか」と。他にも高級デリヘルをハズしたり、税務調査が入ったり、友人からお金を盗られたり……。

当時は「落ちる時って早いな」と思いましたけど、思い返せばこれは間違いです。そんな風に考えると運が良いか悪いかだけになっちゃうし、下手したら時代のせいにできちゃう。

落ちるにも伸びるにも、理由があるんです。

結局僕は若くて元気だったし、本来は根の明るいお調子者だし(笑)、“なんとなく”でやっていたんですよね。ワーって始めて、場所とか条件とかで“たまたま”良い流れに乗った時はうまくいく。逆の場合は潰れる。

「お。なんか今回調子良いじゃん」
「あちゃー。錦糸町の高級はダメかー」

出たとこ勝負。お手本も蓄積もない。店に体力もないから、法律が変わったり経済状況が悪くなると、消し飛んじゃうわけですよ。

あれが底だったんじゃないかな。こんな僕でも頭にハゲができました。友人に裏切られたら死にたくもなりましたよ。何度も。

「ぽっちゃり店だって?」。実は、開き直りだった

渋谷で『ちゃんこ』をオープンできたのは、だから起死回生。でもそれは今から見たらですよ。僕からしたら開き直り(笑)。

当時代理店の方が勧めてくれたんですね。

「渋谷でぽっちゃり店やってみません?」
「ぽっちゃり店? なぜ僕がそんなものを?」

当時もぽっちゃり店はなくもないんですよ。でも風俗激戦区の渋谷にはなかった。ニッチなところだから儲かるかもとおっしゃるんで「じゃあ最後にやってみるか」と。ここでまた店を潰すようなら、もう止めようと思っていました。

……どうして?(笑) だってカッコ悪いじゃないですか。

自分のために付け始めたメモが“手本”に変わる時

この時から僕はメモを取り始めました。なぜか、という明確な理由はないんですが、きっと“なんとなく”を止めようとしたんでしょうね。収支の計算もそうですけど、何かに直面した時に「前はどうしてたっけ?」と振り返られたらいいなと。

思い出して書いたりしたものもあります。例えばキャストさんに手を出しちゃった店長がいた。その後店長はどんなヒドい目にあったか、お店が荒れてキャストさんやスタッフがどれほど迷惑したか、みたいな感じ(笑)。

全く自分のためだけにエクセルやワードに残しておいたんですが、データの分析に使えるし、これ自体が“マニュアル”になるんだということに次第に気づき始めました。僕がいない時のスタッフのため、新人のため、2店舗目を出す時の店長のため……。

実はこのファイルがその“マニュアル”なんです。書式も体裁もバラバラですけど、こんな風に1つにまとまっている。試行錯誤の記録が、後のフランチャイズ展開を支える手引き書になったんですね。

Webサイトのフォーマット化。FCへの“道筋”が付いた

あと振り返って僕が「恵まれていたな」と思うのは、この時入社してくれたNの存在です。彼が『渋谷ちゃんこ』の店長に立候補してくれて、使いやすく見やすいWebサイトをつくってくれたんですね。

しかもつくってくれただけではないんです。彼はWebサイトの“フォーマット化”を行ってくれました。

新しい店舗を出すという時に、『ちゃんこ』はイチからサイトをつくらなくて良くなったんですね。フォーマットにテキストと画像を流し込めば、自然に高いクオリティのホームページができる仕組みができた。彼がFC化への道筋を付けてくれたと言っても、過言ではないんです。

つらい時期に誰が耐えてくれたか。誰が助けてくれたか

とは言え、最初はけっこうヒドい目にも遭いましたけどね。僕だけじゃない。キャストさんも傷つきました。

今じゃ考えられないでしょうけど、心ない他のデリヘルの子やお客様が、道やホテルの前で指さすらしいんですよ。

「あ、あれたぶん『ちゃんこ』の子だよ」
「デブ専だよデブ専」

渋谷にぽっちゃり店はなかったから、目立っちゃったんですね。申し訳ないことでした。

売上も最初は全然です。伸びない、売れない、電話が鳴らない。思い切って広告にお金を掛けても、ぽちゃはスルーでした。

ただその時に覚えているのが、キャストの子の優しさです。

1日目お茶(客付かず)、2日目お茶……。2日間でフリーのお客様も回してあげられないんです。ありえないでしょう? 「おつかれさまでした」の声を聞きながら、僕もうその子の顔を見られなかったですよ。「明日は来ないだろうな」って、覚悟を決めていたぐらいで。

「おはようございます!」

3日目にその子が来てくれた時のありがたさと言ったら……。言葉にできないぐらいです。

明確なビジョンはなかった。教えてくれたのは、女の子

「あ、この子達は性格が良いんだな」

その時にはもう感じていたのかもしれません。よく話もしたんですけど、やっぱり色んなところで苦労もしていて……。

また気が利くんですね。だって仕事がないからって、事務所の掃除を始める子までいたんですよ? ぶっちゃけ僕涙が出ました(笑)。

各店のTwitterを見てくれた方はご存知ですかね。ウチは女性スタッフも多いでしょう? OLやフリーターだったという子も少なくないですけど、なかには元『ちゃんこ』のキャストという子もいます。気配り気遣いが、後に内勤の業務にも向くのかもしれませんよね。

このキャストさん1人ひとりの性格や頑張り屋さんのところがウケたのは、前回お話した通りです。お店の強みになって、ぽっちゃり好き以外のファンも取り込めました。

でも繰り返しになりますけど、最初から僕に何かビジョンがあったわけではないんです。

メモを取り、保存し始めたのは自分の仕事をラクにしたいと思ったからだし、「ぽっちゃりの子は性格が良い。だからゼッタイに成功できる」なんて夢にも思っていません。この仕事をして初めて、ぽっちゃりの子と話すようになったぐらいなんです(笑)。

だから僕は教えられたんですよ、キャストさん達に。もちろんスタッフにも助けてもらって、今の僕があるんです。

――「同じ経験をすれば、思いつくはずですよ」

渡辺代表はそう言って笑うが、たぶん違うだろう。“なんとなく”の繰り返しを止めてマニュアルをつくる人ばかりではない。自店が抱えるキャストさんの“傾向”に気づき、そこを強みとしてFC展開を考えられる経営者ばかりではないのだ。

そして何より代表は、最後に感謝を語った。“人”で成長を続ける『ちゃんこ』だが、根本には結局、渡辺代表の“人”があるのかもしれない。

次回最終回で問うのも、まさにこの“人”の部分。どんなFCオーナーなら『ちゃんこ』で成功でき、過去失敗したのはどんな方だったのか。少し突っ込んでお話を伺った。

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人の話、聞けてます? あなたの失敗には、理由がある~ちゃんこFCグループ代表 渡辺高之 #03

渡辺 高之(わたなべ たかゆき)

愛知県出身。業界歴は14年。兄の影響で水商売の世界へ。その後21歳で上京。様々な職を転々とし、23歳で業界に。2010年“ぽっちゃり”専門デリヘル『ちゃんこ』の1号店を渋谷に開業。わずか2年でフランチャイズ化に踏み切り、代表に就く。2020年8月現在54店舗を展開中。37歳。

執筆者プロフィール

松坂 治良

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小さな出版社などを経て、”誠実に求人広告をつくろう“という姿勢に惹かれ、現職に就く。数年来クラシック音楽と仏教に傾倒中で、最近打たれた言葉は「芸者商売 仏の位 花と線香で 日をおくる(猷禅玄達)」。……向き合った相手の“人となり”や思いを、きちんと言葉にしたいと願う、今日このごろです。

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