「親父を抜いて、吉原の“一軒持ち”になりたい!」~吉原『シャルマン』店長・霜村栄治さん#3~

2016年07月21日

by陽月 メオ陽月 メオライター

父親は吉原ソープランドの経営者。自身も、30歳と比較的遅い風俗業界入りながら、わずか1年で店長の座をつかむなど、父譲りの才能を開花させた、吉原『シャルマン』店長・霜村栄治さん。次なる目標は、もちろん「社長になること」。順調に出世の階段を上っているかと思いきや、目標を見失っていた時期もあったのだとか。

最終回は、霜村さんの「社長」へのこだわり、父親に対する想いと葛藤、気になるプライベートや今後の目標など、素の部分にクローズアップしてお送りします。

あまりに身近過ぎて、実は風俗未経験なんです(笑)

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――少しプライベートについてもお聞きしていいですか。彼女さんのこととか……

彼女は6年いないですね(笑)。風俗業界に入って3か月で別れてしまって。

――なんと! もしや風俗業界に入ったことが原因で?

入ったことが原因ですね(笑)。もちろん、仕事について説明はしていたんですよ。当時の彼女とは4年付き合っていて、結婚すると思っていたので。でも、入ったら入ったで「やっぱり信用できない」って言われました。

――やっぱり女心としては複雑だったのかな

まあ、わからなくはないですけどね。ただ、僕の場合は、実質では親父の店を継いでいるので、風俗業界からは離れられない。だから、お店で働いていることを隠すことはできないですよね。むしろ、全面的に言っていかないといけない。その事情を受け入れて理解してくれる方でないと、お付き合いはできないと思っています。そこは、あやふやにはできないですね。

――こんな家庭をもちたいな、というイメージはありますか?

たぶん結婚したら、うちの親父と母親みたいな感じの夫婦、家族になると思います。うちは、めちゃくちゃ仲いいんですよ。家族構成は、亡くなった親父に母親と6歳上の姉がいます。小さいころは、みんなでハワイに行ったりグアムに行ったり。今も変わらず仲はいいですね。姉は、よくお店に差し入れをしてくれます。

――家族みんな仲が良く、風俗の仕事を受け入れている環境なんですね

僕、下町育ちなんです。祖父も親父も三代続いて下町の向島育ちで、近所に住んでいる人たちはみんな、うちの仕事を知っているんですよね。

――ちなみに、霜村さんご自身は風俗がお好きなんですか?

実は僕、この仕事をしていながら一度も行ったことがないんですよ。講習もしたことがない。

――意外ですね! 吉原のプリンスなのに

社長から「勉強のために行ってみろ」と言われるけど、吉原の社長の息子で、みんなに顔を知られているから恥ずかしい部分があって(笑)。でも、勉強のために一度は行かないといけないかな、と思っています。

やるならテッペンでやれ! 最初から妥協してはなにも始まらない

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――認めてもらうまでには地道な努力がいるお仕事ですが、最後に現在の目標やキャリアプランを教えていただけますか。たとえば、あと何年で社長になりたい、とか

僕の中では40歳ですね。今、36歳なので、あと4年くらいで一軒持ちになりたい。

僕は、「一軒持ちになりたい、社長になりたい」と言って、この業界に入ってきました。だから40歳を節目として決めている以上は、なんとしても目標達成するという野心があります。

実は、30歳で風俗業界に入って2年ほど勤務したものの、一度辞めているんです。辞めたときは、またこの業界に戻ってくるとは、さらさら思っていませんでした。

――1年というスピード出世で店長になり順風満帆だったのに、辞めてしまったのはなぜですか?

親父が亡くなったことが一番大きかったですね。そのときに、目標を失っちゃったんですよ。「親父を抜いてやる」って自分の中で目標を作ってやってきて、風俗業界に入って1年で店長になった。そのタイミングでいきなり亡くなってしまったので、一気に両方とも失ってしまった感じで。

――父親と目標の両方を失ったような気持ちになってしまった、と

あと、当時はすごく勘違いをしていたんです。いつも社長からマンツーマンで仕事を教えてもらえて、新たに立ち上げた店舗で売り出してもらえた。そこで、たまたま売り上げが、どーんと上がっていった。その時に、「僕が行く店は、売り上げが上がる」と勘違いしてしまった部分があるんです。

当時は、その勘違いに気付けなかった。実際は、降格させられたり、あちこち異動させられたりしていたんですが、それでも僕は気付けなかった。それで、社長や部長に噛みついていたんです。「納得できねえ」って言って。そういう背景があって辞めてしまい、また前のように自分でダイニングバーを出して経営していました。

当時は、僕が今、ボーイさんたちに言っていることを言われる側だったんです。でも、辞めて現場を離れて冷静に考えた時に、「恥ずかしいことをしていたな」と、申し訳ない気持ちになった。だから、もうこの業界には戻れないなと思っていました。

でも、社長は、僕のダイニングバーに顔を出してくれて、僕がお店を辞めてからもずっと気にかけてくれていたんです。けんか別れをしたわけではないし、そうやって情報交換をしてはいたけど、まさか「戻ってこい」というお言葉をもらえるとは思っていなかった。

――信頼関係あってのことですね

そうですね。うちの社長は、30歳を過ぎてから風俗業界入りして成功された方なんです。やる気とプライドと負けん気が強い方で、とても尊敬しています。僕はこのグループしか知らないですが、出戻ってきた時に「ああ、戻ってきたんだね。よかった」と言っていただけたのは、非常にうれしかったですね。

自分の都合で辞めたのにもかかわらず、温かく迎えてくれたという感謝の気持ちが大きいので、今はその期待に応えることに集中したいと思っています。この『シャルマン』というお店で、とにかく結果を残して、認めてもらうというのが先決です。

うちの社長からは、「やるならテッペンでやれ!」とハッパをかけられています。「一番を目指した結果、二番三番ならいいけど、最初から絶対に妥協をするな」と。だから、人が見ていても見ていなくても、妥協せずに仕事をすることを常に心がけていきたいです。

以前の記事
「父は吉原ソープ社長! “サラブレッド”の店長が仕事に懸ける想いとは」~吉原『シャルマン』店長・霜村栄治さん#1~
「チャンスは平等に流れている! モノにしたいなら我を捨てろ」~吉原『シャルマン』店長・霜村栄治さん#2~

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霜村 栄治

1980年生まれ。吉原ソープランド『Charmant(シャルマン)』店長。花街として有名な墨田区の向島出身で、父親は吉原ソープの社長であり、幼いころから風俗業界を身近に感じて育つ。アパレルや水商売など、さまざまな仕事を経験した後、30歳で風俗業界に転職。吉原シャルマン:公式サイト

執筆者プロフィール

陽月 メオ

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(よみ:はづきめお)東京都出身。ナイトワーク系のフリーライター歴は10年以上でホストクラブと風俗店への取材を多く手掛けた。家族の確執や依存などで長年悩んだ経験を生かし心理カウンセラーとして活動した経験を持つ。

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