始まりの夢 ~事業拡大の野望。トップの“脱”属人化~『夢見る乙女グループ』岡崎信二社長の回想 #1
2022年11月21日
――『夢見る乙女』。およそ風俗店らしからぬ可憐かつキャッチーなネーミングのこの店舗が、横浜に誕生したのは1999(平成11)年のこと。
その後世紀を跨いで急速な成長を続け、2000年代の関東を席巻。彼らが今や、数多のブランド展開と、1,900人に迫るキャスト在籍数を誇る大グループにまで躍進を遂げたのは、周知の事実だろう。
『VOICE』の取材で何度かオフィスを訪れたことのある筆者は、その度に業務の細分化と効率化に驚かされてきた。
一方で、マルチタスク、ワンオペ、休みがないのは当たり前という店舗が(良い悪いは置いて)、この業界に少なくないのも事実だろう。なぜ『夢見る乙女』はその逆を行けたのか。五反田エリアで社長を務める岡崎氏(48)にお話を伺った。
業務効率化の理由。初めから事業拡大が視野にあった
「なぜ業務効率化できているのか?」ですか(笑)。ごめんなさい。つい笑っちゃって。そんなこと考えたこともないというか、どうですか? 営利組織である以上、効率良く業務を遂行しようとするのって、当たり前だと思いませんか。
いや、重ねて申し訳ない。僕ちょっとイジワルでしたね(笑)。仰ることはわかります。なかなかそうできない企業が業界に多い中で、“なぜウチはそれを成しえているのか”ということでしょう。
その答えで言えばたぶん『夢見る乙女』というグループが、そもそものスタートから事業拡大を視野に入れていたことが挙げられると思います。そしてそのためには何が必要かを考えたというか……。
なのでそうだな、本来僕はこういうことは苦手なんですが(笑)、せっかく取材に来ていただいたんだし、まず僕とグループとの出会いからお話してみましょうか。そうすればおのずと、僕らが業務効率化を進めてきた理由、大組織になれた要因が見えてくると思うんです。
「日銭が稼げれば」の送迎ドライバーが、やがて内勤に
どんなに大きな組織だって、最初は“1から”です。東京・横浜・千葉・埼玉の4地域に広がり、2022(令和4)年10月現在の総キャスト在籍数は1,894人。僕は1つのエリアを任されているに過ぎないんですが、それでも11ブランドの社長です。そんな僕らも、始まりは当然1店舗からでした。
その名も『横浜夢見る乙女』。1999年のことです。
大学中退後フラフラしていた自分が、1万円という日給に惹かれて入店したのは翌2000(平成12)年でした。役割は送迎ドライバー。だから最初は“割りの良いアルバイト”というぐらいの感覚でしかなかったんです。この頃は「日銭が稼げれば」という人間でしたからね(笑)。
その意識が変わっきてたのがだいたい……半年~1年目ぐらいになるのかな。人手不足から「内勤をやってみないか」と声を掛けられて、横浜⇒続けて新規に立ち上がった千葉の店舗に配属されて。
流されたというより、事業のスタートアップのダイナミズムに惹かれたのと、当時からサービス単価は高いですから、「ちゃんとやればこんなに稼げるんだ」と、費用対効果の良さがすぐにわかりました。またバンバン新店が出ますから、チャンスは多いし給与も上がる。「こんな僕でも」と夢を持てたんです。
強烈なリーダーシップと愛。誰も先輩の真似はできない
同時にこれが冒頭のお話に繋がってくるんですが、この時期は個々のお店がすごく属人化されていたんです。優秀な創業の先輩達のお店は儲かる。そうじゃないお店は極端に落ちるという感じ……。
でね、まだアルバイトだった僕もそうだし、当時からの仲間達も同じ思いだったんですが、だからって売上を伸ばせない側の先輩を責められるかと言ったら、とてもそんなことできないんですよ。
創業の横浜の先輩。言わば『夢見る乙女』の核をつくった方ですが、彼の真似は誰もできないところがありました。カリスマというか、とにかく何事にも“本気”なんです。こういう言い方はあれですけど、愛があって。
例えばキャスト応募の女性をみんな雇っちゃうんです。病んでいる子でも寮に入れてしまうので、さすがに僕らも「勘弁してください。病気じゃ出勤もできません」と反対しますよね。そしたらこう返されるんですよ。
「しょうがないじゃないか! あの子だって好きで体壊したわけじゃないんだから。置いてやれ。その間他の子でカバーしてあげれば問題ないじゃないか」
要は“全体で儲かればそれでいい”という考えなんですね。そして“情けは人のためならず”(人に対して情けを掛ければ、巡り巡って自分に良い報いが返ってくる)を徹底している方でした。
実際ね、2、3か月して体が治ったら、このキャストさんはトップランカーとして大活躍してくれたんですよ。この時の先輩の嬉しそうな顔は、今でも忘れられません。
創業メンバーの熱。“人”を信じ、“人”に付いていった
しかもこれはほんの一例ですからね(笑)。キャストさんが「お金貸してください」と言ったら、この先輩はどんな大金でも渡してしまう。「今お店にそんな額ありません」と言う前に、自分の口座から下ろしに行っちゃうから、スタッフも止めようがないんです。
で、怒る時は烈火のごとく怒ります。ウソつくキャストさんなんかがいたら、もうほんとにおっかなかったですよ。
「何でそんな出まかせ言うんだ! 君を待っていたお客様の気持ちがわかるか!」
これで当のキャストさんが気を悪くするかと言ったら、逆なんですね。むしろ感激しちゃう子もいたぐらい。裏切られた先輩の悔しさが伝わるし、「これからの社会人生活を思えば、この子のためにならない」って、ガチで心配してくれているのがわかるからです。
『横浜夢見る乙女』草創期の快進撃は、この先輩を初め、創業メンバーの“熱”抜きには語ることができません。スタッフもキャストさんも、“人”を信じ、“人”に付いていった。だからこそ“1から”の僕らが爆発的に売れたんですよ。バイトとして傍で見ていた僕は、今でもそう思います。
“脱”属人化。“誰がトップに来ても同じになる”を目指す
ただし読者の方々はもうおわかりでしょう。つまり“同じ力量が他のスタッフにあるのか”ということなんです。はっきり言いましょうか? 僕にはない(笑)。
まずコワいですもん。他人の人生あそこまで背負えません。財力以前に、そこまでの覚悟を僕は持てない。
だからもしあのままでいたら、『夢見る乙女』は横浜かせいぜい神奈川で数店舗の人気デリヘルぐらいで終わっていたでしょう。
事実そんなお店は20年前ざらにありましたよ。プチカリスマみたいな経営者を頭に頂いて徒党を組んで、ちょっと儲かったら高級外車乗り回して良い時計を見せつける。どんぶり勘定で調子に乗って、やがては消えちゃう、みたいなね。儲かっている“今”に、満足しちゃうんでしょう。
ウチの先輩達はそうではなかった。初めから「東京に出る。関東を全国をねらう」と語っていました。
「じゃなきゃ君らの収入止まっちゃうだろう。新人スタッフだって夢を見れないじゃないか」
冗談抜きに真顔でね、「ここは“夢見る”乙女だぞ」と。
じゃあどうするか。属人化を抜け出すことです。極端に言えば、“誰がトップに来ても同じになる”ように、例えば僕なんかでも管理できるように(笑)、運営をシステム化する。
設立当初から僕らは“マニュアル”をつくり、時流にあわせてそれを更新し、更に適材適所へ向けて動いてきました。労働条件や福利厚生についても、一般企業と変わらない制度設計を目指してきたんです。
マルチタスクの否定。1人ひとりの適性で回せる組織に
現に僕は3年で正社員になり副主任。5年目には『品川夢見る乙女』を見るようになりました。その時点で5ブランドの代表を任されるまでになったんです。
アルバイトでしかなかった自分がそこまで行けたのは、今言った“できる先輩”と“ダメな先輩”を見比べて、前者を目標にしたからではないんですね。僕は至って普通の人間。得意不得意だってあるし、繰り返しになりますが、創業の先輩と同じことはできません。
だから僕を初め仲間達みんなが、「自分ならどこまでできるか」とか、どうすればマルチタスクでやるのではなく、1人ひとりの適性で組織を回せるのかと考えてきました。
業務効率化に、適材適所。おかげさまで今や、僕だけで11ブランドの社長。グループ全体もコロナを乗り越え、ここまでの企業に成長できたんです。
――“付いていきたくなるほど魅力的な先輩”。だからこそ「自分達後輩に同じ真似ができるのか?」と考え、事業拡大のために、トップの“属人化”を脱する道を模索する……。
何とも逆説的な業務効率化の“きっかけ”に、出だしから驚かされる今回の取材。次回、その具体策が明かされる。
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夢の途中 ~適材適所。キャスト面接官~『夢見る乙女グループ』岡崎信二社長の回想 #2
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岡崎 信二(おかざき しんじ)
三重県出身。風俗業界歴は22年を数える。大学中退後、2000年に26歳で『夢見る乙女』に入社。送迎ドライバーのアルバイトを経て3年目には社員に、5年目には『品川夢見る乙女』の社長となる。その後『人妻セレブリティ』ほか、数々の店舗運営改革に成功し、新規店立ち上げにも尽力。2022年現在11ブランドを統括する。48歳
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