25歳。遊興の果てに、寂しさを知る。~『ロボットデリヘル』開発者 あき #2

2023年01月04日

by松坂 治良松坂 治良編集者・ライター

――特異なプレイ内容とアイデア溢れる企画力で、2013(平成25)年の創業時より、業界内外に数々の話題を提供してきた『ロボットデリヘル』。

その“開発者”あき氏(36)へのインタビュー第2回目。19歳で上京した青年は、やがて一般の20代ではとても叶えられないような“一見幸福な”生活を送ることになるのだが……

上京して養成所⇒プログラマー⇒独立して会社経営

上京のところからでしたよね。でもその辺りは実は、そんなに話すこともないんです(笑)。

1年半AVの制作会社で仕事をして、その後芸人になりたくて養成所に入ってという感じですね。芸人を目指した理由?(笑) こちらも前回と同じようなことです。若気の至りですよ。

「自分はおもしろいヤツだ」「何者かになれるはずだ」と信じていたんでしょう。そこで自己肯定感を得ようとした。現実にはさっぱりでしたけどね。

養成所にいる間に、とても食えないからプログラマーのアルバイトを始めました。ちょっとニッチな業界の会社だったので、敵も少なく時給が良かったんです。やがてそちら1本になって。

ところがしばらくしたら、同じバイトだったヤツがすっごい羽振りが良くなって目の前に現れたんですよ。

「どしたのお前? そのカッコ」
「いやあ。今社長で」

聞けば自分で同様の会社を立ち上げたと言うんです。月収は良い時には1千万円だと……。

僕からすれば、「あいつができるなら」という思いでした。“やるかやらないか”で、そう難しい事業じゃないと気づいて、自分も独立して会社経営を始めたんです。

唸るほどできたお金。行き尽くした風俗。……不幸?

今思えば、チャンスってそんな風に特殊な分野にほど転がっているのかもしれません。実際めちゃくちゃ儲かりましたし(笑)。

お金は唸るほどできたから、365日使い倒すという感じでした。夜のお店にも行きまくりですよ。朝はキャバクラで飯食って、昼はサパークラブで取って、午後はヘルスで遊んで……。

羨ましい?(笑) そうですよね。僕も最初は調子に乗らなくもなかったです。でも同時に当時から、「これは本当に望んだことなのか。幸福な日々なのか」という気持ちも自分の中にあって。

例えば何十万円もする最高級の霜降り牛肉があるとします。だけどそれを毎日食べたらどうですか? これは確実に言えることですが、飽きます。

風俗店だって一緒なんです。もう僕は“人が想像しうる限りの”ありとあらゆるお店に行きました。年齢は18歳から、それこそ熟女と呼ばれる方のお店まで。国籍も様々。サービス内容だって、普通のお店からハードなSMを含めたアブノーマルまで、すべて制覇したはずです。

色んな性癖が目覚めて、と言うより、気持ちにも体にも刺激を与えすぎて、何が自分の好みなんだかしたいことなんだか、ぐちゃぐちゃになってわからなくなるぐらいまで行きました(笑)。性的なオーバードーズと言えばいいですかね。

言っちゃえばこれは、ある意味では“不幸”な状態だったのかもしれません。

年を重ねると性的な嗜好が変わる。強い刺激を得たがる

要は……不躾ですが、松坂さんはお幾つ? ああ、もう50代になるんですね。正直なところ、若い頃とは性的な嗜好も変わってきませんか?

全く興味がなかったのに、急に濃い行為に惹かれるようになったり、SMにハマるようになったり。

何も松坂さんがそうだって言ってるんじゃないですよ(笑)。一般的に年齢を重ねると共に、強い刺激や、これまで触れたことのない世界を求めるようになりませんかということです。使えるお金という面でも、20代30代の頃より増えている方が多いでしょうし。

10代の頃は手を繋ぐという行為にさえドキドキするのに、初老となればそんな風に変わる。今までと同じでは飽きたり、物足りなくなってしまう。

性的なことに限らないかもしれません。小さな子供は素材だけの自然な味付けの食品でも、喜んで食べるでしょう。

それが成長すればポテトチップスを求めコーラを求め、ラーメンの味付だって濃くなっていく。その意味で言えば、性的嗜好がどぎつくなるというのは、振り掛ける調味料が強くなるのと似ている気がします。

初老で求めるはずのものを、25歳で経験。そして……

なぜ“不幸”かというのは、つまりそういうことです。本当なら40代50代で求めるようになる行為を、いやきっとそれ以上のものを、僕は25歳にしてすべて経験してしまったということ。

……松坂さんすごい顔してますね(笑)。わかります。文字通り贅沢な悩みなんでしょうが、さっきも言ったように「なんだかな」というのは日々感じていましたよ。

虚しさ、寂しさ、言葉で表現すればそんな感じでしょうか。それ自体初老になって感じれば済むのに、僕は風俗や、食もそうかもしれないですね。未来に取っておけば良かったものを、25歳で前借りしてしまった。だからそれほど羨ましい状況でもないんです。

そしてこれもわからないもので、この風俗を遊び尽くしてしまった経験は、後にデリヘル事業を始める際の“発想”に結びつくんです。

もともと僕は、「こうだからこう」と思って生きてきたタイプじゃありません。でも自分の歩みや傾向って、結局何かの形になって現れるんですね。そして僕の場合はまさに、それが『ロボットデリヘル』だったんだと思います。

――前回に続いて、今回もあき氏の“デリヘル開業以前”の話を聞いた。この10代20代の日々が、どう『ロボットデリヘル』に結び付くのか。次回を楽しみに待とう。

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“究極”の風俗店だからこそ、裾野は広かった。~『ロボットデリヘル』開発者 あき #3

ロボデリ開発者 あき

埼玉県出身。県内有数の進学校を卒業したものの、大学受験を断念。19歳で上京し、養成所で芸人の道を志す。その後プログラマーとなり、やがて経営者の道へ。2013年にオープンした“女の子が一切喋らない”がコンセプトのSM店『ロボットデリヘル』は国籍を越えて大ヒット。2023年には丸10周年を迎える。36歳

執筆者プロフィール

松坂 治良

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小さな出版社などを経て、”誠実に求人広告をつくろう“という姿勢に惹かれ、現職に就く。数年来クラシック音楽と仏教に傾倒中で、最近打たれた言葉は「芸者商売 仏の位 花と線香で 日をおくる(猷禅玄達)」。……向き合った相手の“人となり”や思いを、きちんと言葉にしたいと願う、今日このごろです。

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