19歳。“全員進学”の高校で、ただ1人 ~『ロボットデリヘル』開発者 あき #1
2022年12月26日
――“業界初の女の子が喋らないデリヘル”“SMを超えたSM”。
センセーショナルなキャッチコピーと共に、『ロボットデリヘル』が歌舞伎町に誕生したのは、2013(平成25)年の終戦記念日。8月15日だという。
我が『Fenixzine』の編集長新海から、その“開発者”あき氏(36)にインタビューしてほしいと頼まれたのは、本年(2022)12月9日のこと。
その特異性から各メディアに取り上げられ、昔から話題に事欠かないデリヘル。しかも現在はインバウンド需要も伸びている……。
「いいですね。楽しい取材になりそう」
筆者が喜んで引き受けたのは、言うまでもない。
埼玉県内有数の進学校。憧れの応援団。ところが……
はい。インタビューですよね。伺っています。『プロの肖像』でしたっけ。光栄なことですが……。
良いんですかね、僕の半生だなんて。全然エラい人間じゃないのに(笑)。
出身は埼玉です。そこそこ勉強はできたので、高校時代は県内の進学校で学びました。応援団がリーダー的な役割を担っている学校で、僕も当たり前のように憧れて。
ところが運営が超体育会系で、2年生の夏合宿中にOBに強く詰められて、心が折れちゃったんですね。そのまま行かなくなってしまったら、2学期の始業式に場内の生徒の視線が自分に集まって、いたたまれなくなっちゃって。
「あいつ辞めたんだ」という感じだと思います。それくらい注目度の高い部活で。
確かに今思えば、そんなもの気にしなきゃいいんです。でも自意識過剰な17歳は、そうもいきません。次第に生活はだらしなくなって、勉強にも身が入らなくなって、結果浪人しちゃったんです。
シルクハット、福満しげゆき、そしてアダルトビデオ
自分の性格とか当時の精神状況もあるとは思うんですが、振り返ると若い頃の僕には、こういった形で“決定的な出来事”みたいなものが折に触れて起こったんですよね。
次のエピソードもまさにそうで、ろくに勉強もせずにいた浪人中のある日、自室のベッドで僕は、生まれて初めて金縛りにあいました。お昼過ぎだったかな?
特に疲れていたわけでもないのに、どうにも体が動かせない。息をするのもままならない。そして足元を見ると、黒いシルクハットにマントの男がじっと僕のことを見下ろしているんです。
白昼夢って言うんですかね。何とも言えずコワくて、気が付けばそんな男はもちろんどこにもいなくて、汗がびっしょりでした。時間が過ぎて夕方、気分を変えるために外に出たんです。まだ意識がポーッとしていて……。
その後フラフラ駅前の本屋さんに入って立ち読みをしました。何気なく開いた漫画がまた「何で今?」っていうぐらい、めちゃくちゃ刺さったんですよね(笑)。
福満しげゆきさんの『僕の小規模な失敗』という作品でした。鬱々とした高校生の、傍から見れば大したことはないんだけど、本人にとっては深刻な日々の失敗譚。みんなと同じ道を歩めず、浪人している自分の状況が、主人公と重なったんだと思います。
胸が痛むまま、やがて自宅に帰って。夜に当時好きだったアダルトビデオを見ました。何気なくDVDのパッケージを裏返したら会社名が書いてあって、ふと思ったんです。
「ここで働こう。東京に行こう」
東京に行く=事態を打開する。大学 対 AV業界
なぜ?(笑) そうですね。自分でもそう思います。なかなか契機となった出来事と、上京との因果関係を説明するのは難しいんですが。
シルクハットの男が心象風景の表れだったとは言いません。ただ少なくとも「このままで良いのか」という不安は、僕にあったと思うんです。
後にわかることですが、この年の卒業生で、大学に行かなかったのは結局僕だけでした。みんなスマートに勉強してカッコよく大学生をして、きっと将来だって約束されている。
「なのに自分は何だ」
その気持ちに福満さんの作品が拍車をかけて、その先にたまたまDVDがあったんでしょう。僕にとっては“東京に行く=事態を打開する”で、きっかけはなんでも良かったんだと思います。
同時にしつこいようですが、僕も10代のガキでしたからね(笑)。自分のダメな状況を変えたいとなった時に、同級生達、世の19歳達に対して“逆張り”したんですよ。
もう1年遅れているわけだから、既に勉強では負けている。じゃあ「そんなものくだらない」とバカにしてイキがって……ね?(笑) 若い頃ってそういうのあるじゃないですか。要は優等生のみんなに対して、AV業界という言わば“対極”の選択をしたんです。
36歳の今、分析してみればという話ですよ(笑)。この時はそんなに冷静じゃない。むしろガキはガキなりに、必死に足掻いていたとは思います。
10代でのこの“逆張り”こそが、後の事業の布石
でもね、三つ子の魂百までじゃないですけど、この時の決断が、自分のその後の人生を大きく左右することになるんです。
この先僕は色んなことをやるわけですが、9年前に立ち上げたこの『ロボットデリヘル』こそ、まさに“逆張り”の成果でした。それができたのは、この10代の経験があってこそだという気がするんです。
――ユーモアもまじえて謙虚に語るあき氏だが、同時に既に10代の時点で、行動と結果に“語りつくせないもの”を抱えている人物なのがわかるだろう。
そして全4回の連載の間に、そんな彼だからこそ『ロボットデリヘル』という誰も思い描けなかったお店をつくれたことも、理解できると思う。
次回の公開は、新年1月。上京後の20代について聞く。彼はどんなことを考えて過ごしたのだろう?
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25歳。遊興の果てに、寂しさを知る。~『ロボットデリヘル』開発者 あき #2
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ロボデリ開発者 あき
埼玉県出身。県内有数の進学校を卒業したものの、大学受験を断念。19歳で上京し、養成所で芸人の道を志す。その後プログラマーとなり、やがて経営者の道へ。2013年にオープンした“女の子が一切喋らない”がコンセプトのSM店『ロボットデリヘル』は国籍を越えて大ヒット。2023年には丸10周年を迎える。36歳
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