「バブルでは、踊らない」~スタイルグループ代表 滝健二の信念#2

2019年08月20日

by松坂 治良松坂 治良編集者・ライター

――東京都を中心に店舗展開を続ける『スタイルグループ』。

創業者の滝健二氏は、さぞかし起業家精神に溢れていたのだろう……。そう思いきや、彼はもともと、バーテンとして生を終えるつもりだったという。

四六時中シェイカーを振り、人から抜きんでようと努力していた毎日。そんな滝青年に転機が訪れたのは、24歳の時だった。

大阪から東京へ。バーテンからAVプロダクションの営業マンへ。

風景も人も仕事も、大きく変わっていく。彼は成功できたのだろうか?

自分はバーテン。上京の理由は“話のタネ”

AVプロダクションに関わることになった理由ですか? これはまた、不思議な縁と言えば縁でした。

僕の親友が、東京で小さなプロダクションを経営している社長に「一緒に働かないか」って声を掛けられていたんですけど、直前になって断っちゃったんですね。

で、それを聞いた僕が「代わりに紹介してくれないか」って。

その時は正直、大阪でバーテンに戻った時の、話のタネになるなと。それくらいの思いしかなかったんですよ。あくまで僕は、死ぬまでバーテンをやるつもりでいましたから。

……この時はね。本当にそう思っていたんです。

1日4軒回る営業と8軒回る営業。それだけで、差が付く

ところが、ですよね。東京に来て仕事をしたら、その魅力にとりつかれてしまったんです(笑)。

まず「ウチのプロダクションを使ってください」って外回りの営業をかけるんですけど、営業が初めて……というか、飲食、バーテンと来てますから、会社勤め自体も初なわけですよね。

で、周りを見渡すと、皆さんぬるい営業をしているわけです。「何だ」と、「勝てる」と、そう確信しました。

勝つのって、簡単なんです。これは後の種明かしにもなってしまいますけど、人より上に行く方法は、実に単純なんですね。他より多く働くこと。そして戦略を立てること。この2つだけで良いんです。

例えば同僚もライバル会社の営業マンも、飛び込むのは当時、せいぜい4軒ぐらいでした。会社の目を盗んではサボろうとしますしね(笑)。

僕はどうしたかと言えば、とてもシンプルです。8軒回ったんですよ。それだけで成約を得られる確率が上がるんです。稼働日20日としたって、皆さんが80軒しか回れない月に、僕は160軒回れるわけですから。

頭はボウズ。黒縁のメガネにスーツ。誰よりも目立てた

次に戦略。僕はまずスーツを着ました。AV業界の営業は、当時誰もスーツなんて着ていませんでした。それだけでも目立てたぐらいなんです。

さらに僕は、髪をボウズにしました。そしてこんな太い黒縁メガネを掛けたんですよ。目なんか悪くないんですけどね(笑)。

どうなると思いますか?

「あのスーツで黒縁メガネの人、また来たよ」
「あのボウズの?」
「そうそうそう(笑)」
「意外とちゃんとしてるよね。提案資料なんて持ってきてさ」
「意外とっていうか、あの人実は、一番しっかりしてない?」

他より頻繁に来社する人間が、しかも目立つ格好をしています。さらにスーツで、どこよりもしっかりした提案資料を持ってくる……。

やっている時は必死でしたけど、振り返れば、勝つのは当たり前なんですよ。

バーテンの時にも言われました。「どうしたらそんな風になれるんですか?」って。僕は隠さずに教えます。「シェイカーを振りな。ひたすら振りな」って。

でもダメなんですね。みんなそこまでやらない。僕より手先が器用な人もいたし、勘のいい子だっていたんですよ。僕はいつも歯がゆかった。

「やればいいのに」

ここも同じでした。外回りの数を増やせば結果は付いてきます。スーツを着るだけで目立てます。なのにみんな、やらないんですね。自分を変えないんです。

バブルでは踊らない。努力のないものには、魅力がない

僕はと言えば、やればやるほど結果が付いてくるので、楽しくてしょうがないわけです。みるみる結果が出て、3年目に独立。自分のプロダクションを持ちました。

業界全体的に儲かっていたと思いますよ、あの時代。あれこそバブルでしたね。

例えば新人の監督がAVを1本撮るでしょう?

3か月後にはその彼は、ベンツに乗っているんです。そんな時代でした。

そして、沢山の人が消えていきました。業界に入った頃「3本の指に入るお金持ちだ」と聞かされた人達が、僕が自前のプロダクションを持った時には、跡形もなく消えていましたから。

簡単に稼げて、簡単に使って、気が付けば何も残っていない。身を持ち崩して信用も失って、業界を去る。そういう方を僕は、当時たくさん見ました。

自分はああならないと思ったか? そんなことは考えなかったですね。ならないのはわかっていたと言ったらおかしいですけど、そこはやはり、小さい時の経験が大きかったんだと思います。

今あるお金で、もうそれが手に入るのがわかったとします。もう僕は、それが欲しくないんです。ガマンじゃないんですよ。いらない。

きっとね、努力しなければ手に入れられないものじゃないと、僕は魅力を感じないんです。その意味できっと、バーテンの時と変わっていませんし、高校の時進学を選ばなかったように、みんなと同じ道で、同じように踊るのがイヤだったんでしょうね。

衰退が見えた時、次に選んだものこそ、風俗だった

だから仕事に没頭しました。ところがです。やはりと言って良いのか、AVのバブルも終わり、長期的に見ると少しずつ衰退していく未来が予測できたんです。

今は業界も大きく変化しています。すっかりDVDから動画配信になりましたし、無料で見られるサイトも増加しています。

僕は最前線で自前のプロダクションを持っていたわけですから、もう少し早い段階で、そういうことにも気づけたんですね。

ちょうど10年ぐらい前ですか。僕は31歳になっていたと思います。プロダクションを人に譲って、新たな業界での起業を決意しました。

それが、デリバリーヘルスとの出会いだったんです。

――バーテンで生を終えるはずだった滝青年を捉えたものは、やればやるほど成果が出る営業の魅力、仕事の魅力だった。

しかしAV業界は衰退の兆しを見せ始め、彼は別のフィールドでの起業を決意する。それが、デリバリーヘルスだった。

だがしかし、ここで1つの疑問が湧く。

なぜデリヘルなのか?

他にもさまざまな業界があり、資本だってあったはずだ。なのになぜ?……

答えは次回、最終回で明らかになる。

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「大真面目を、貫け!」~スタイルグループ代表 滝健二の信念#3

滝 健二(たき けんじ)

関西出身。風俗業界歴は9年。進学率100%の高校に通いながら、その年ただ1人社会人の道へ。20歳でバーテンを“天職”と定めるものの、話のタネのつもりで上京したはずが、やがてAVプロダクションの代表を務めることになる。その後、32歳で風俗業界へ。未経験でスタイルグループを立ち上げ、『JKスタイル』を始めとした大ヒットブランドを、数多く誕生させる。

執筆者プロフィール

松坂 治良

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小さな出版社などを経て、”誠実に求人広告をつくろう“という姿勢に惹かれ、現職に就く。数年来クラシック音楽と仏教に傾倒中で、最近打たれた言葉は「芸者商売 仏の位 花と線香で 日をおくる(猷禅玄達)」。……向き合った相手の“人となり”や思いを、きちんと言葉にしたいと願う、今日このごろです。

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