いじめられっ子で13年間引きこもりだった僕が見つけた居場所 ~風俗作家・吉岡優一郎の半生~
2016年10月27日
延べ300人以上の風俗で働く女性にインタビューを行い、執筆を続けるノンフィクション作家の吉岡優一郎さん。
インターネットラジオ『フーゾクリンクラジオ』のパーソナリティーも務め、軽快なトークでリスナーを楽しませている。
今回は、そんな多岐にわたり活躍する吉岡さんの半生から、風俗業界で働く意義と、すべての業界関係者に向けたメッセージをお届けする。
「僕には、なにひとついいところがない」と鬱屈した少年時代
岡山県の田舎で育った僕の幼少時代は、ずっといじめられっ子でした。勉強ができなければ、運動もできない。実際、小学校6年間通じて体育と図工の成績はずっと1でしたよ。
高校を卒業するまでずっと劣等感の塊で、「僕には、なにひとついいところがないじゃん」って思っていたんです。
大学受験は、親が無理やり敷いたレールを歩む形になります。祖父が歯科医だったので、僕も歯科医になれと。僕の意見なんてなにも聞いてもらえませんでした。
それでも必死で勉強しましたね。一浪して神奈川歯科大学になんとか合格しました。「あっ、僕ってやればできる人間なんだな」って初めて思えたんです。
歯科大合格という初めての成功をつかんだ吉岡少年。しかし、その喜びはつかの間でしかなかった。
大学1年の終わりに、母親が僕の学費を株の信用取引でパーにしてしまったんです。「なんでなん」って思ったのは確かなんですけど、ちょうどその時、僕は体を壊してしまっていたんです。
燃え尽き症候群みたいな感じだったんだと思います。今思えば、勉強が嫌いなやつが、一浪して歯科大に通ってるわけですから、自分なりにしんどい思いをしていたんですよ。
「もうええか……」って自暴自棄になり、大学を辞めて岡山の実家に帰りました。
13年間の引きこもり生活のなかで出会った風俗業界
当時は本当になんにもできない状態でした。そこから32歳まで、13年間引きこもり生活です。ほぼずっと自宅にいる感じです。
ただ、なにもしないわけにいかないので、22、3歳の時にパソコン通信を始めました。
プログラムを組んでみたり、サイトを作ってみたりとか、引きこもりながらいろいろ勉強を始めたんです。
引きこもった部屋でオタクのようにパソコンの勉強をしたという吉岡青年は、ネットの環境が整わない時代にさまざまな分野のリンク集サイトを作る。
それが吉岡さんと風俗業界とのターニングポイントとなる。
当時は今のような技術がないから、目的の情報を得るためにいろんなウェブサイトを探し回らないといけなかったんですよ。しかも回線はべらぼうに遅いという……。
それなら、分野ごとにまとめたリンク集があったら便利じゃないかと思って、国会議員や全国の図書館のリンク集を作ったんです。
そのなかで、たまたま風俗のリンク集も作ったんですけど、ほかのリンク集はほとんど見られないのに、それだけ何千っていうアクセスを稼いで。
「広告を載せれば、ちょっとした小遣い稼ぎになるんじゃないか」と思って、本格的に作ったのが『全国風俗リンクセンター』っていうウェブサイトなんです。
風俗業界にかかわるなんて嫌だって人がいるかもしれないけど、僕からしたら、やっと見つけた自分の居場所だったんです。引きこもり続けるジンセイなんて絶対嫌でしたから。
「自分のコンテンツ」がシゴトを面白くする
『全国風俗リンクセンター』を始めた当初は本当に好調で、月50万円くらいの広告収入があったんですよ。でも、すぐに似たようなウェブサイトが出てきて、アクセスは右肩下がりで落ちていってしまいました。
うすうす気づいていたんです。僕はただいろいろなところのURLを引っ張ってきたリンク集しか作っていない。コンテンツがなにもないってことに。
わかってはいたんですけど、自分にはこれ以上のものを作れるという自信がなかったんです。そんな時、ふと流れていたラジオが耳に留まって、「これなら自分にもできるんじゃないか」って思ったんです。
それで、友達に協力してもらって、風俗店の取材や在籍の女の子にインタビューするインターネットラジオの番組(フーゾクリンクラジオ)を作ったんです。
女の子の取材アポがなかなか取れなかったり、スポンサーについてくれた風俗店が摘発されていきなりCM料が入ってこなくなったり、いろいろ大変だった時期はあったんですけど、ようやく「自分のコンテンツ」と呼べるものが作れた気がしました。
だから、仕事自体がすごく楽しかったですね。
2002年、『全国風俗リンクセンター』の低迷を期に始めたネットラジオ制作。しかし、生活を潤すほどの収入があったわけではないと吉岡さんは語る。
それでも、やっと見つけた風俗業界という自分の“居場所”で試行錯誤を重ね、やりがいを見いだしていった。
そんな矢先、吉岡さんに風俗業界から足を洗おうと決意させる、ある事件が起きる。
死を覚悟した深夜のファミレス
当時、何度も取材していた女の子が、在籍していたお店とトラブルを起こして、僕に相談に来たんですよ。
それで、彼女から「今のお店を辞めてきたから、ほかの店を紹介してほしい」って言われたんです。その子には取材をさせてもらった恩があるし、僕は情で動いてしまう人間なので、「そんな店辞めや」って言って、ほかの店を紹介してしまったんです。
そうしたら、彼女が同僚の女の子に、「この人ならほかのお店を紹介してくれるよ!」とメールしてしまったんです。
当然そのことが、かつての店長にバレて、僕は深夜のファミレスに呼び出されました。実は、その店長さんっていうのは、殺人罪で15年間服役していた人だったんです……。
これはもう足にコンクリートの塊を付けられて、海に沈められるんじゃないかと思って、覚悟を決めて謝りました。
でも、店長さんは「吉岡さんにはいろいろとお世話になったから、始末書一枚でなかったことにしてあげる」と言ってくれたんです。
彼がファミレスから出て行くと、ヘタヘタと座り込んで動けなくなってしまって……。「助かった」という気持ちと、「こんな怖い世界で生きていくのはもう嫌だ!」という気持ちが一気に押し寄せてきたんです。
自分の居場所を否定して、逃げたくなかった
そんな出来事があったので、きっぱり風俗の世界から足を洗って、ほかの仕事をしようと思ったんです。
けれど、これまでの風俗業界での仕事を否定した形で逃げたくなかったんです。せっかく見つけた自分の居場所ですから。だから、自分がやってきたことをしっかり形に残してから去ろうと思いました。
それで、本を出している地元の友人に、「本を出したいから、どこか紹介してくれて」って頼んだんです。
彼に紹介してもらった出版社に、「風俗業界で働く女の子のインタビューが100記事くらいあって、それらを書籍化したい」という企画書を送りました。
そうしたら、その日のうちにとんとん拍子に話が進んで、出版会議で企画を取り上げてもらえることになったんです。次の日には編集者の方から、「企画が通りました! やりましょう!」って。
企画書を出してから36時間後くらいには書籍化が決まったんですよ。それが2009年の4月に出版した『風俗嬢のホンネ』です。
風俗作家としての処女作『風俗嬢のホンネ』(2009年)は、女性の心情に深く寄り添う執筆スタイルが高評価を受け、自身も驚く1万5千部のヒットとなった。
その後も吉岡さんは定期的に続編を上梓、現在(2016年)までに5冊もの書籍を出版、風俗作家としての地位を確立している。
自分の居場所で幸せを追求してほしい
風俗業界から身を引こうと思って書いた本が売れて、身動きが取れなくなってしまったんですよね(笑)。足なんて洗えないですよ。すぐ続編を書くことになりましたから。
今はもう開き直っています。「楽しいからいいや」って感じですね。いろいろな女性にインタビューをして、いい原稿が書けるとすごく幸せなんです。
でも、僕の本のなかには、いい話ばかりではなくボロボロになってしまう女性も出てくるんです。そういうエピソードを書くときはやっぱり悲しいですね。
人それぞれのジンセイがありますけど、少なくとも僕とかかわった人は、僕の前では不幸にならないでほしい。人間はやっぱり幸せになるために生まれてきたはずですし。
幼少時代のいじめ、大学の中退、引きこもり生活、死を覚悟したファミレス。何度もボロボロになりながら、不死鳥のように蘇った吉岡さんは笑顔でこんなふうに語る。
幸運って、不幸の後にしか来ないんですよ。これは僕の場合だから一般論じゃないけど。
風俗業界という自分の居場所を見つけた吉岡さんは、今後もライフワークとして女性へのインタビューを続けていくという。
最後に吉岡さんから風俗業界で働く人たちにメッセージをうかがった。
今は労働環境とか給与体系とか、ブラックな企業が多いわけだから、もしかすると風俗業界は恵まれているほうなのかもしれないですよね。
それでも、偏見があったり、人から後ろ指をさされたりってことがあると思うんです。そういう世界で働く以上、自分の幸せを追求しないといけないと僕は思っています。
それがお金なのか、やりがいなのかは人それぞれだと思います。僕は女性にいいインタビューができたときが幸せです。自分にとって、なにが幸せかをしっかり考えてほしいですね。
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吉岡 優一郎
1964年2月23日生まれ。ノンフィクションの風俗作家として5冊の書籍を出版(2016年現在)。インタビューした風俗関係者は延べ300人を超え、特に女性の心情に寄り添うインタビューに定評がある。吉原の街を舞台にした書籍を2017年発表予定。
風俗作家 吉岡優一郎.com:公式サイト
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