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風俗業界への転職を選択した彼らのジンセイ再生の秘訣に迫ります。

一般職(内勤・スタッフ)】新田幸介さんのインタビュー記事

2016年入社

新田幸介 (45歳)

一般職(内勤・スタッフ)

前職:映像制作⇒営業職

2018.8.7

18で上京した少年の物語。紆余曲折の人生経験は、必ず接客に活かせる

この記事のポイント!

  • 18歳で山梨から東京に。キャバクラで声を掛けてきたのは……
  • 休日、福利厚生、社会保険。……なぜ、見るべき点なのか
  • 大切なのは「想像力」。人への敬意が、活躍に繋がる

18歳で山梨から東京に。キャバクラで声を掛けてきたのは……

出身は山梨の、ほんとうの田舎です(笑)。どちらかというと貧しい家に育ちまして、高校を出てすぐの18の時、友だちと東京に出てきたんです。

新宿のターミナルで高速バスを降りて、友だちと行った先はキャバクラでした。“取りあえず働くところ”ぐらいの意識しかないですよね。たぶんほんとうに、何でも良かった。

住み込みで数か月働きましたけど、まあろくなもんじゃないですよ。キツイし、お金も大してもらえないですしね。

そんな時に、友だちと2人、お客さんだった社長に声を掛けられたんです。

「お前ら、金ないんだろ? ウチなら払いも良いし、住むところもあるぞって」

……アダルトビデオの制作会社でした。

脇目も振らず、20年間。社長の他界が転機に

もう飛びつくようにですよね。いいとこ住めて、お金だって悪くない。18から脇目も振らず、そこで懸命に働きました。

そもそも決まった休みも時間もないようなものなんですよ。あの業界って。現場から制作までぜんぶやって、そうこうしているうちに仕事は大好きになりました。どんどんできることも増えていくし、立場も上にされちゃいますしね。やりがいは自然に生まれるものです。

ただほんとうに仕事漬けの日々で、好きになっていたとはいえ、どうして続けられたかって言ったら、やっぱりずっと一緒に働いてくれた友だちのおかげですよね。励みになってくれていました。

でも20年目の38歳の時に、スパっとそこの会社を辞めてしまうんです。理由ですか? 友だちと2人で「もういいんじゃないか」って……。

僕ら2人を拾ってくれた社長がね、他界したんですよ。その時にふっと「もういいよな。充分がんばったよな」って。キャバクラで目に留めてもらった恩を、返せたってわけでもないんですけど。

今振り返ると、いい時に辞めたかなとも思うんです。あのころはまだDVD売ってましたけど、今は動画配信の時代でしょう。厳しくなってますよね。

新聞の拡販員になったものの「おもしろさ」を求めてデリヘルに

その後は2年間、働き通した分を取り返すようにして遊びました。バリ、セブ、ハワイ、海外にもたくさん行きましたよ。そうですね。20年ぶりに、一息ついていたのかなあ……。

でも当然ですけど、やっと使えた貯金も、いつかはなくなるもんなんです(笑)。生きていくためには、また仕事をしなければいけない。それで新聞の拡販員をはじめるんですけど、これがまあおもしろくない!

仕事は僕たぶん、どんなことでも苦にならないタイプなんでしょう。だから営業成績も良かったんですけど、同じことの繰り返しでね。AV業界の時の楽しさに比べたら、「なんてつまらないんだろう!」っていう感じでした。

1年ぐらい勤めた後にこの業界を受けたわけですけど、どうしてかって言ったら、実は経験があったんですよ。前いたAVの会社がデリヘルも手掛けていて、最後の6年間ぐらいはそっちに携ってもいたんですね。

しばらく離れていたとは言っても、業務のイメージ、流れはなんとなくわかる。それに何よりデリヘルっておもしろいんですよ(笑)。人同士が関わる現場で、毎日毎日色んなことがあるから。

休日、福利厚生、社会保険。……なぜ、見るべき点なのか

どうしてそこのデリヘルに戻らなかったか、ですか? そうですよね。僕の当時の42、3歳という年齢を考えたら、そう思うかもしれないですね。

ただ僕の場合はそれは、ありえないことだったんです。会社に前いた人間が久しぶりに、それこそ何年かぶりにやってきて、努力してきた若い子たちを差し置いて、上に立ってエラそうにする……。

最悪じゃないですか。そういうのって。若い子いい気しないでしょう? 会社の空気だって悪くなりますよ。

もうね、そこは僕の中で終わっているんです。世話になった社長が亡くなった時にね。

まったくのイチからだ、いやゼロからだとなった時にPRCを選んだのは、まず家から近かった(笑)。それと後は、やっぱり企業としてしっかりしていたのが大きいです。

休日、社会保険、福利厚生。そういうのって、僕も長いこと他で勤めていたわけだから、「ちゃんとしてるかしてないか」って、すぐわかるじゃないですか。

これはお若い方へのアドバイスみたいなことにもなっちゃいますけど、福利厚生とか社会保険ていうのは、待遇の良し悪しだけを表しているんじゃないんです。それだけのことができるっていう企業の「体力」とか、社員に対する「誠意」を示してもいるんです。

だから僕が言うのもなんですけど(笑)、選ぶ時にはやっぱりきちんと見るべき点だと思います。働く場所を、間違えないでほしい。

大切なのは「想像力」。人への敬意が、活躍に繋がる

今は1年と4か月ぐらいですか。まあおかげさまでここはほんとうに忙しくて、毎日楽しいですよ。

イチから、それこそお掃除からスタートして、電話を取りはじめて、お問い合わせが徐々に増えて、成約が増えていってっていうのは、おもしろいですね。日々課題があるというか。

女の子も、毎日たくさんのことを抱えています。ウチは特に年齢が少し高めの女性たちですから、礼儀を持って接するっていうのは、心掛けている点です。人生経験を積んできて、さまざまな理由があって、このお仕事をしているわけですからね。

そういうのって、特に僕みたいに30歳、40歳を超えてからこの業界に入ってくると、よりわかるんじゃないかと思うんです。

僕だって18歳で山梨から出てきて、ほんとうにさまざまなことがあって、ご縁をいただいて今ここにいる。

少し想像力を働かせれば、人妻店でも奥様店でも熟女店でも良いですよ。ある程度の年齢でこの業界で働く人たちに、“色んな歩み”があったことは、すぐにわかるはずなんです。

そしてわかれば、敬意に繋がるでしょう。言葉づかいも丁寧になるでしょう。自然と失礼な態度は慎むでしょう。結局、そこなんですよ。

極論みたいに聞こえるかもしれないですけど、以前どんな業界にいた方でも良いと思うんです。“接客したことない”でも、全然かまわないと思います。人とか相手の人生に対して敬意を持てる方は、この業界で必ず活躍できますよ。自然に丁寧な接客や、女の子への気づかいができるようになります。

ただ一つ、さっきもちょっと言いましたけど、選ぶ会社は間違えないように(笑)。「企業」としてちゃんとしたところにだけは、入るようにしてほしいです。

取材後記

松坂 治良

執筆者

松坂 治良

18歳で東京に出てきてからの少年の物語に、時間も忘れて惹きつけられました。語られることよりも、語らずにいることの中に、新田さんのたくさんの苦労が秘められているように感じました。恩や義理を重んじて生きてこられた新田さんだからこそ、人への敬意を語ることができるのでしょう。事実、敬意のないところに接客はないのかもしれません。自分の生き方についてまで、考えさせられたインタビューでした。

プロフィール

新田幸介

一般職(内勤・スタッフ)

(前職:映像制作⇒営業職)