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一般職(内勤・スタッフ)】阿嘉達樹さんのインタビュー記事

2019年入社

阿嘉達樹 (39歳)

一般職(内勤・スタッフ)

前職:飲食店員 ⇒ 営業職

2023.4.20

未経験から始めて副店長。月給も今や50万円。「大手で良かった」は、素直な実感

この記事のポイント!

  • 「自社ビル?!」  安定を求め転職。YESグループの規模に驚いた
  • “相手が何を望んでいるのか”。コミュニケーションに大切なこと
  • 順調に昇給し、キャリアアップも。今後の夢を語れる今に感謝

母子家庭。定時制高校に通いながら、居酒屋で料理をした10代

働き出したのは早いんです。母子家庭で余裕がなかったので、16歳の時。定時制高校に通いながら、居酒屋の厨房で料理人をしました。

ご苦労されて?(笑)  まあはたからはそう見えるんでしょうね。でも振り返れば楽しかったですよ。旬のものをお出しするような少し高級なお店だったので、色んなことを学べもしました。

ただ給与は低かったんです。物価の安い沖縄とは言え、月に手取りで15万円ぐらい。高校生のうちはまだ良かったんですが、社会人になるとちょっとキツい。転職を決めて8年金融関係の営業、その後7年とび職をしました。

事実とびの時代には給与も悪くなかったんです。最後の3年は“1人親方”にもなって、月に40万円ほど。ところが次第に将来に不安を感じるようになって……。

職人さんを集めるのがたいへんということもありますし、何より体力ですよね。当時もう35歳。この先40歳、45歳となった時に、同じように続けられるかと言ったら、難しいのは目に見えていました。

「自社ビル?!」  安定を求め転職。YESグループの規模に驚いた

退職後なぜこの業界に、というのは給与面ですよね。経験がなくても高収入を目指せる仕事と考えた時に、すぐに頭に思い浮かびました。

中でも『YES』に応募したのは、全国展開している大手グループということが大きかったです。今後を心配しての転職だったので、その時点で25年も続いている企業というのは魅力だったんですね。

実際にオフィスを訪れてみると、まず6階に通されて。1階~5階までのお店がすべて『YESグループ』のブランドだということでした。

「……家賃だけでもすごそうですね」
「(笑)。自社ビルだよ」
「! そうなんですか?!」

全然知らなかったので、「那覇だけでもそんな規模なんだ」と、めちゃくちゃ驚きました(笑)。面接では自分のこれまでの経歴や、職を変えることになった経緯を丁寧に聞いていただいて。入社後の初任給、その後のキャリアアップの道筋についてもくわしい説明がありました。

で、「ここしかない!」と思っていたところに「いつから働けます?」と声を掛けられたんですね。もう嬉しくて、即翌日からお世話になることになったんです。

“相手が何を望んでいるのか”。コミュニケーションに大切なこと

早いもので、それから3年半になります。幸い業務自体に「これは難しい」とか「理解できない」というものはないので、そう苦労したという記憶はありません。ウチには長年の間に培ったノウハウもありますし……。

強いて挙げれば、やはりコミュニケーションのところですよね。キャストさんあっての事業なので、彼女達との日々のやりとりは重要。売上を左右してくると思います。

ときどき後輩スタッフに注意するのは「全部同じ対応ではダメだよ」ということ。新人さんなんかは特に「コミュニケーションが大切だー」とやたらキャストさんに話しかけたりしちゃうんですけど、中には1人でいたい子もいるんです(笑)。

「必要なことだけ伝えて」「困った時だけ助けて」というタイプ。こういう子に対しては、そっと見守り、影でしっかりバックアップするという方針で良い。というか、それがベストなんです。

一方で、承認欲求という言葉があるように、「かまってほしい」という子もいますよね。良い悪いではなくて、気にされることに居心地の良さを感じ、期待されると燃えるというタイプ。こういう子には僕も、積極的に話しかけるようにしています。

要は“押しつけ”や“1人よがり”ではダメなんですね。“相手が何を望んでいるのか”こそが一番大事。これはキャストさんに対してだけではなく、接客においても同様かもしれません。

順調に昇給し、キャリアアップも。今後の夢を語れる今に感謝

エラそうなこと言ってますけど(笑)、結局は慣れですよ。今も触れたように難しい仕事ではないので、コツコツ目の前の業務に向き合う姿勢さえあれば、未経験からでも全然活躍できると思います。

昇給と昇格の査定もあるので、やりがいもすごくありますしね。僕で言うと、1年2か月で副主任、1年8か月で主任、2年10か月で副店長になれました。今後はもちろん店長を目指すつもりです。

月給もとび職の7年でやっと40万円だったのが、ここではもう50万円ですからね。下のスタッフ達にもぜひ、この“やったらやっただけ”の醍醐味を味わわせてあげたいんです。これは決して僕が“いい人”だから言うんじゃありません。

部下が育てば僕の評価も上がるんですね(笑)。だからこそぜひ、良い新人さんに入っていただきたいなと……。

先々への不安から業界入りした僕が、今はこうして自分の夢を語れるようになった。それだけでも感謝だし、「あの時YESグループを選んで良かった」というのは、素直な実感です。

(インタビュー:松坂治良)

取材後記

藤野 りさ

執筆者

藤野 りさ

「未経験の自分が」と語る阿嘉さんですが、ご経歴を見れば10代から勤労学生。その後も8年⇒7年⇒今4年目と、いつも長く勤めあげてきたのがわかります。
記事にあるように、“コツコツ前向きに”が身上で、だからこそ『YES』で実力を花開かせることができたのでしょう。きっと店長の座もすぐそこですね。またぜひインタビューをお願いします。

プロフィール

阿嘉達樹

一般職(内勤・スタッフ)

(前職:飲食店員 ⇒ 営業職)