【総合職(店長・幹部候補)】石野哲也さんのインタビュー記事
2014年入社
石野哲也 (32歳)
総合職(店長・幹部候補)
前職:解体工
2020.3.5
高卒の解体工から店長、そして社長に。“感謝”で歩めば、時代にだって負けない
この記事のポイント!
- 「コワい人が出てくるんだろうな」 ⇒ 「え?! 普通じゃん!」
- 頼まれ、仕方なく始めた内勤。いったい誰が助けてくれたのか
- “コロナ”だって、強くなれる機会。きっともっと、良いお店に
10代はフラフラ。“マジメに”と思って始めた解体の仕事は……
これまでの経歴?ですか……。大した経歴じゃないんですよね(笑)。困ったな。
高校を出てからフラフラしていたんです。色んなアルバイトをしては辞めという感じで、“ここで何をやった”みたいに語れる仕事には、一度も就かなかった気がします。
「そろそろマジメに働かなくちゃ」
20歳を過ぎて、24歳ぐらいの時かな? やっとそんな風に思って(笑)、始めたのが解体工事の仕事です。もうほんとに、朝早くからずっと肉体労働という感じなんですけど、これが2年も続いたんですよね。
周りはみんな僕より年下で、学歴は高卒の僕が一番高いという職場でした。
「石野さん、この漢字何て読むの? 教えて」
驚きましたよ。小学校で習う漢字を読めない子までいたんです。「ちゃんと教育を受けていないんだな」と思うと、何だかかわいそうな気がしちゃって。他にも色んな場面で懐かれたり頼られたりで、辞めるに辞められなかったというのが本音です。
でもやっぱり体がキツいし、何と言うか、仕事に燃えるものが全然なかったんですよ。坦々と肉体労働を続けるだけで、変わり映えのない毎日。頑張ろうとはしたんですけど、10年、20年と続けるのは、僕には無理だと思いました。
「コワい人が出てくるんだろうな」 ⇒ 「え?! 普通じゃん!」
「ドライバーでもやってみたら?」
知人がAVのプロダクションにいて、そこがデリヘルもやっているとか、確かそんな話だったかな……。“送迎ドライバー”という仕事があると、そこで初めて知ったんです。
で、まだ次に何をするとも決まっていなかったですし、「どんな世界なんだろう?」という興味もあって、お店を検索してみたんです。当時大井町に住んでいて、条件は“その近く”ということだけでした(笑)。
検索結果に『デザインヴィオラ』があって、オフィシャルのWebサイトから直接応募したんですよ。オフィスはもうこのまんまでした。「コワい人が出てくるんだろうな」とか「すっごいスサんだ空気なんだろうな」と思ってましたから、びっくりしたぐらいです。
「普通じゃん」て。以前いた解体工事の事務所の方が、よっぽど雰囲気コワかったですよ(笑)。
優しかったキャストさんたち。こちらが戸惑うぐらいだった
働き始めてから驚いたのは、キャストさんです。僕、「何でこんなに?」っていうぐらい可愛がってもらえたんですよ。
ここが奥様店で、みんなが26歳の僕より年上だったからですかね。本当に良くしていただきました。
何しろ初めてですから、送り先までの道がわからないんですよ。地図が読めないなんてことはないと思うんですけど、渋滞に入ったり、時間を読み間違ったりで、ほぼ毎日テンパってました。それを皆さん後部座席から励ましてくれるんですね。
「大丈夫だよ。まだ15分あるし」
「焦ると余計間違うよ。今日は早めに出てるんだし」
「今のとこ曲がった方がたぶん近かったよ」
「ガンバレー! 行けー!」
後は「あー」とか「うー」とか言っている僕を、みんなひたすら笑ってましたね。入った時にはお店も2年目ぐらいでしたし、ベテランのキャストさんには特に、僕が“業界っぽくない”のを気に入られたみたいなんです。
実は当時の店長には、「あんまりキャストさんと喋るな」と言われていたんですけど、僕わりと話しかけてたんですよね。「どうですか? 調子」とか「久しぶりですねえ」とか、「あれー? 元気なくないですか?」とか。
僕お姉ちゃん子だったんで、そういうのも活きたのかもしれないですね。「石野君が運転する日が良い」って、“ご指名”まで入ったぐらいだったんですよ(笑)。
内勤への興味はゼロ。送迎ドライバーで充分満足していた
でもそうすると、上がうるさいんですよね(笑)。「内勤やってくれよ。頼むよ」って。
「イヤですよ。ムリです。電話なんて取れないですもん」
内勤はまったくやる気がなかったんです。ドライバーで良いというか、ドライバーが楽しくなっちゃって(笑)。ウチは23区内への送迎のみなんですけど、三鷹の姉妹店が困っていたら、助けに行っちゃったりもしました。その頃には道にくわしくなって、抜け道探すのもおもしろいなって感じるようになっていて……。
送迎する中で、色んな学びもありました。「みんなそれぞれ事情があるんだな」とか「色んなこと抱えて仕事してるんだな」って、話す中で親しくなるうちに、感じるようになって。
ときには「これは相づち打つぐらいしかできないな」ってこともあったんですよ。でも「はい。はい」って答えるだけだった場合でも、大概のキャストさんは、車を降りる時に言うんですよね。
「聞いてくれてありがとう」
頼まれ、仕方なく始めた内勤。いったい誰が助けてくれたのか
だから内勤を始めた時は“嫌々”ですよね。「こっちは楽しくドライバーやってるのに!」ぐらいのもんですよ(笑)。でも当時の店長が病気になってしまって、スタッフだけではどうにもこうにもお店が回らない。オーナーに頭を下げられたら、最後には「やってみます」って言うしかないじゃないですか。
そうして始めたは良いですけど、正直何をどうして良いのかわからない。なので「せめて掃除ぐらいきっちりやろう」「配車だけは間違わない自信があるし」という感じで、試行錯誤でした。
電話も最初は全然ダメでしたよ。マニュアル通りに棒読みだったり、向こうが「じゃあいいや」って仰ったら、ただ「そうですか。すみません」みたいな感じで、商売になっていなかったと思います(笑)。
そんな毎日にでも、助けてくれたのはやっぱりキャストさんなんです。例えば「あいにく女の子ぜんぶ出ちゃってるんですよ」って断りの電話をしている僕の肩を、帰ろうとしている側から叩くんですね。
「何?」
「私行けるよ」
「え?! だって今日は用事があるって……」
「いいよ。行ってあげる。私だってお金欲しいもん」
言いながらもうお仕事バッグを手にしてるんですよ。もう何とも言えないですよね。嬉しいし、感謝しかない。胸が熱くなるぐらいで、だけど最後は笑われるんですけどね、僕って。
「ヤだ石野君。何泣いてんの?(笑) 」
内勤は、楽しい。気が付けば店長になり、やがて社長になった
こうなると、内勤の仕事も楽しくてしょうがなくなります。すぐ店長になって、入社から6年経った今では僕、社長ですから。収入もぐんぐん上がったし、そりゃラクなことばかりじゃなかったですけど、解体工の時に比べたら、やりがいの日々ですよね。
とは言え何で成功できたのかって聞かれたら、僕何にもないですよ。ただマジメに一生懸命やってました。ガチでそれだけなんです。
手を抜かずドライバーを頑張って、キャストさんとの関係もしっかり築いていたからこそ、みんな僕が内勤になった時に「こいつ困ってんな。助けてやろう」って思ってくれたんですよ。当たり前に感謝を述べて、いつも「ありがとう」で、だからここまで来られたと思うんです。
そして、そうなると思うものなんですよね。「必ず恩返しする。ゼッタイみんなを稼がせてやる」って。自然に努力するようになりました。
難しい仕事も全然ないですから。10代も20代前半もボーって過ごして、まともにやったのは解体工事の仕事だけ。そんな僕が今社長なんです。これを読んでいる人みんなに、可能性があるって言いたいぐらいです。
“コロナ”だって、強くなれる機会。きっともっと、良いお店に
結局気持ちなんじゃないですかね。今、コロナウイルスだなんだでウチも売上は少し下がってますけど、僕オーナーに言ったんですよ。
「これをチャンスにしましょうよ。ここを乗り越えたら、僕らゼッタイまた強くなれますから」
「出張のサラリーマンがいないから」って言い訳して、「客来ねー」って嘆いていたって、何にもならないじゃないですか。「ならどうする?」って、次の展開考えた方が、ずっと楽しいですよ。
これを機会に待機室をさらにピッカピカにするとか、キャストさんとお客様双方のエチケットを見直す機会にするとか、“前向き”な発信だってたくさんできるはずなんです。
やるやらない、できるできないにかかわらず、イベントを企画したって良いですよね。お得意様にはチャットが無料とか、ヘルスではなくデートのサービスを今だけやってみるとか、それこそお客様とキャストさんに案を募るとか。
もうここも設立8年目ですからね。これまでの地盤も常連のお客様の支えも、仲間のグループ店だってありますから、そう簡単には負けません。僕が入った6年前からのキャストさんだって、まだいるんです。みんなで助け合って、必ずこの難局を乗り越えて……。
その時にはきっと、ここはもっと良い店になる。ピンチの今を、さらなる成長の機会に。ここのキャストさんもスタッフもそう思わせてくれるし、そう思えないお店は、逆にダメだという気がするんです。
取材後記
解体工時代の若い子への優しさ、ドライバー時代のキャストさんへの誠実さ、そして内勤以後の、みんなを巻き込んだ奮闘の日々……。キャストさんも、この方にとってはきっと“戦友”なのでしょう。偉ぶらず、ただ前向きに。自身の仕事ぶりを思い返すと、恐縮してしまいます。
プロフィール
石野哲也
総合職(店長・幹部候補)
(前職:解体工)