そこは華やかで、優しい場所で~“境界”を繋ぐ人。『夜遊び情報館オアシス』タカムラ #1

2019年06月21日

by松坂 治良松坂 治良編集者・ライター

――『夜遊び情報館オアシス』をご存じだろうか。五反田にある“風俗案内所”なのだが、他よりも少々というか、“かなり”変わっている。

風俗店の広告を掲示し、訪れたお客様をお店に案内する……。業務内容としてはこうした説明になるはずなのだが、『オアシス』はそこに留まらず、行政に対する働きかけを行って、まちづくりにさえ貢献しようとしているのだ。

単純に疑問が生じる。なぜ『オアシス』はそんなことをするようになったのか。代表のタカムラ氏とは、どんな人物なのか。

人生を紐解いてゆくと、タカムラ氏ならではとも言える、“夜の世界”との出会い、関わり方が見えてくる。……

厳しい家庭で育つ。集団行動も苦手だった

生まれも育ちも高知県です。とても厳しい家庭で、今なら親に悪気のなかったことは理解できるんですが、日々暴力を受けたり、罵声を浴びたりと、抑圧されて育ちました。

学校生活もたいへんでした。家から学業その他のプレッシャーを感じていましたし、集団行動も苦手だったんですよ。

振り返ると、1人でいることが多かったですね。小中高と、ときどき学校を休んだりもして……。

だから18歳で上京した時には、自分自身に解放感が溢れていました。

コンパよりもキャバクラ。同世代よりも、大人たちと

都内の私立大学に入学するんですが、相変わらず同世代からは離れていることが多くて……。代わりに夜になると、キャバクラに顔を出したりしていたんです。

これが楽しくて楽しくて(笑)。

単純に華やかで心が躍りましたし、他のお客様からすれば、学生の僕はめずらしかったんだと思います。ずいぶんかわいがっていただきました。

それで、大学3年の終わりぐらいですかね。当時のバイトを辞めて、何か他のことをと考えた時に、キャバクラで働くことを思いついたんです。

「好きを仕事に」って、とても単純な理由でした(笑)。

「五反田のキャバクラで働こう」……の、はずだった

その頃は白金台の方に住んでいたんで、じゃあ五反田が近くて良いなと。ところが、何軒か周ったんですが「学生はダメ」というところばかりだったんですね。

でも中に、こんな風に言って下さる店長さんがいて……。

「そこにオアシスっていう風俗案内所があるから、受けてごらん。きっと学生でも面倒見てくれるから」

半信半疑でここのAさんという方を訪ねたんです。当時66、7歳とか? そのくらいでしたかね。専務と呼ばれていました。実際すぐに応接室に通して下さって。

「バイトで?」
「はい」
「学生さんかあ。逆におもしろいかもしれないね。接客は得意?」

とんとんと話が決まって、その日から働きはじめました。おもしろいですよね、縁というのは(笑)。

風俗案内所での仕事。夜の世界の“コンシェルジュ”

風俗案内所っていうのは、こんな感じでお店に広告を出していただいて、その広告料で利益を得ているんです。

壁にパネル掲示できるのは、キャバクラなどのいわゆる社交飲食店ですね。2006年の風俗案内所条例(歓楽的雰囲気を過度に助長する風俗案内の防止に関する条例)で、現在は性風俗店の掲示はできません。その代わり、案内所内のパソコンにバナーがあって、お客様はそちらを閲覧できるようになっています。

僕らの仕事はというと、まあコンシェルジュと言えば良いでしょうか。ご相談を受けて、お客様に合ったお店をご案内します。

お客様のメリットは、安心して遊べることですよね。ぼったくりや客引きから身を守れるし、自分の嗜好や興味、予算の中から最適なお店を導き出すことができる……。

一方でお店にとっては、ここに広告を出すこと自体が安心の証になるし、僕らが案内役を担うことで、営業に集中できるわけです。

大学生、バイト。……みんなの好意の中で、気楽だった

そしてここに、当時は大学生の僕がいました(笑)。お客様は、大概が歳上の方だった気がします。僕自身夜の世界が大好きでしたから、ちょっと大げさですけど、仲間、同志に会うような感覚でした。

「このお店ならご予算で楽しめますよ」
「落ち着きたいならこちらですね」
「ここの子達ならわりと、お仕事の話なんかでも合わせられます」

のびのびと働けていたんじゃないかな。Aさんに「イキイキと仕事するねー」って感心されるぐらいでしたから(笑)。

またどこかに「バイトだし」という気楽さがあったんですね。「学生さんなの?」って、お客様も良くして下さったんですよ。立場的にも恵まれていたと思います。

「Aさんは、東京の親」。それくらい影響を受けた

恵まれていたという意味ではもう1つ、Aさんの存在も大きかったですね。1日中一緒にいますから、色んなことを話すようになって。抑圧されていた青春時代のことや、ずっと1人が好きだったことなんかを、丁寧に丁寧に聞いていただいたんです。

僕が愛情不足を感じて育ったことなんかも、見抜いていたんじゃないかな。それこそ親のように接してくれていました。立ち居振る舞いやマナーなんかも、学んだのはAさんからなんです。

何というか……。そうですね、自分を大人にしてくれた存在でした。

学生の僕には、華やかで、そして優しい場所だった

振り返ると、ナイトワークとの出会いは僕にとってはすごく明るいもので、それは仕事になっても変わりませんでした。

楽しい、華やかな世界。そして少し苦労した大人たちが、親身になってくれた場所……。

お金目的ではなかったし、成り上がりたいなんていう思いもない。お店に遊びに行った延長で働いていた気がします。

でも、それは甘かったんですね。結局僕は若かったということでしょう。僕も、そしてAさんも、この後たいへんな目に遭うんです。

――「一獲千金」「成り上がりたい」。そう思って夜の世界に足を踏み入れる者は多いだろう。そして、それ自体は決して悪いことではないはずだ。

ただ、タカムラ青年の場合は違った。彼は「楽しい」の延長のままに働きはじめ、そしてそこで“親”とさえ呼べる人物にも出会ってしまう。

満たされなかった幼少年期。上京後に現れた『オアシス』という場所は、タカムラ氏をまず人として認め、育んだのだ。

だがこの後彼は、恩師のAさんとともに“たいへんな目”に遭ったのだという。いったい行く手に、どんな出来事が待ち受けていたのだろうか……。

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再び、三度の夜の世界~“境界”を繋ぐ人。『夜遊び情報館オアシス』タカムラ #2

タカムラ

高知県出身。多摩大学大学院経営情報学研究科(MBA)修了。業界歴はバイト時代も合わせ、12年。経営する夜遊び情報館オアシスは、風俗案内所業務に留まらず、まちづくりにさえ関わる様々な活動を行っている。取り組みが評価され、『オアシス』は品川区環境浄化推進店舗に認定。「誰とでも話す」という姿勢から、代表にも業界の枠を越えた熱い期待が寄せられている。

執筆者プロフィール

松坂 治良

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小さな出版社などを経て、”誠実に求人広告をつくろう“という姿勢に惹かれ、現職に就く。数年来クラシック音楽と仏教に傾倒中で、最近打たれた言葉は「芸者商売 仏の位 花と線香で 日をおくる(猷禅玄達)」。……向き合った相手の“人となり”や思いを、きちんと言葉にしたいと願う、今日このごろです。

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