成功の原体験と人生の底を味わったネットカフェ難民時代~『かりんと赤坂店』店長にしやまさん#3~

2017年01月12日

by新海 亨新海 亨編集長

ゼロベースで新店の『かりんと赤坂店』を軌道に乗せたにしやまさん。笑顔でハキハキと語ってくれるその姿は、仕事にやりがいを感じ、充実した生活を送っているように見える。

そんな彼がなぜ風俗業界で働くという選択をしたのか。これまでの半生を語ってもらった。

成功の原体験は大学時代の自主企画イベント

学生時代は陸上部で長距離走の選手でした。長距離は粘り強さが必要なんですけど、僕は全然粘れないタイプで……(笑)。自分のことを弱いなってすごく思っていました。

生徒会長を務めたことがあって、みんなをまとめることもよくあったんですけど、「ひとりになると弱い」みたいな感じで。

そんな僕が、大学のときサークルで結構大きなイベント(大学を貸し切り500人で鬼ごっこ!)を企画して実現したんです。

このことは、今の風俗業界への想いにも通じる部分なんですけど、僕の入った大学の学部は日本で唯一そこにしかないものだったんです。僕はどうしてもそこで学びたくて入ったし、同じ学部の友達も同じような人が多かった。

でも、ほかの学部の人たちは、「こんな三流大学出てもさ」みたいなことをよく言うんですよ。自分が好きで入った大学を「こんな」なんて言ってほしくなかったんです。

風俗業界でもいますよね。「こんな仕事しててもさ……」って言う人。僕はそれがすごく嫌なんです。

休日に校内を貸し切って、500人で鬼ごっこをやらせてくれる大学って、なんかバカみたいでカッコいいじゃないですか。自分の居場所に誇りをもってほしかったんです。

当日までは本当に成功できるのか不安でしたし、集まった500人を路頭に迷わせたらどうしようと、ひとりで毎日お酒を飲んでましたね(笑)。

それでも仲間の協力があり、なんとかやり遂げることができて、大成功しました。本当にありがたいですよね。

初めて逃げなかったですよ、あの時は。それまでは逃げまくりの人生だったので。

大学を卒業したにしやまさんは、だれもが知る東証一部上場企業に就職するも、知人の誘いがあり一年でベンチャー企業に転職。その後、独立をして起業をしている。

「絶対に大丈夫だから」そう言って力尽きてしまった自身の起業

自分で会社をやりたくて出版広告系の会社を設立したんです。

ちょうどSNSが普及し始めた時期だったので、それを利用して著者をプロデュースする会社を作ったんですけど、全然ダメでしたね。うまくいきませんでした。

高校の友達と一緒にやっていた会社なんですけど、僕は「絶対大丈夫だから」って言いながらもボロボロで……、精神的な病になってしまったんです。

かりんと赤坂_にしやま

「にしやま君、もう駄目だよ。やめよう」と言われて、泣く泣く(本当に泣きながら)会社を畳むことになりました。結局3年しか持たなかったんです。

すごくダサい終わり方をして、借金を背負ったまま実家の福島に帰りました。崩れ落ちるように祖母に土下座をして、お金を借りてなんとかなりまして。これで、ジンセイの最悪中の最悪は逃れた感じです。

ずっと憧れて踏み入れた、経営者人生だったんですけどね。

実は僕には父親がいなくて、母親だけなんです。母は福島の田舎で測量会社の常務をやっています。すごい経営者ってわけではないですけど、僕をちゃんと育ててくれた。

田舎の建設業は、そんな馬鹿みたいに儲かる仕事ではないんです。だから、母は儲けるためというより、人間関係を大事にしながら仕事をする人なんですよね。

自分のやりたいように自由に働いている母の姿を見て、僕もそうなりたいなって思っていました。

それと、絶対に逃げないですからね。うちの母親は。

再起をかけた挑戦。ネットカフェ難民からスタートした風俗業界

かりんと赤坂_にしやま2

身体と精神の療養のため実家で1か月くらい寝ていると元気になってくるんです。家族には、「このまま地元で就職しろ」と言われたんですけど、僕は、「このままでいいのかな?」って思ってしまって。

そうなってくると、どうしても何かやりたい気持ちになってくるんですよ。

もう一度東京に行きたいということを母親に相談をして、「人生の最後にどうか3万円だけ借してください!」と懇願したんです。

母も気持ちを理解してくれて、東京にまた出てきました。新幹線なんて贅沢なものは使えませんから、鈍行の電車に揺られながら、スーツケースひとつでの上京です。

2012年のことですね。実家からまた東京に出てきたのはいいんですけど、もちろん宿もなく仕事もないわけですよ。

どうしたものかと思っていたら、自分が会社をやっている時にお世話になっていた人から偶然メールが来たんです。

「今、何してんの?」みたいな話になって、事情を話して、「とりあえず今日はネットカフェに泊まるつもりです」と言ったら、その人が「明日話そう」って言ってくれたんですよ。

実はその人、風俗店のオーナーになっていて、「新店をオープンするから手伝ってほしい」と僕を誘ってくれたんです。それが僕の風俗業界デビューのきっかけでした。即答で「やります!」と、すぐ働かせてもらいました。

そこから日当5000円をもらって、2000円のネットカフェに泊まる生活を続けるんです。

風俗の仕事に対する抵抗や偏見は全然なかったですね。もともとそういうのがあまりない人間なんですよ。仕事はなんでも仕事だと思ってますから。

その後、にしやまさんは店舗の閉店や運営方針への違和感などから、いくつかの風俗店を転々とする。

東京に出てきてから半年弱くらい経っていたと思うんですけど、いまだにネットカフェ難民でした……。せっかく東京に出てきたのに、自分はまったく前に進んでなかったんです。

「もう一度起業したいとか、何かやりたいとか、そういう甘っちょろいことを考えていたらダメだ。一回自分で何かを成し遂げないといけない」と思ったんです。

それで、ネットカフェのパソコンから風俗店求人情報の中で一番給料の低いお店に面接を申し込みました。それが、#1でお話しした『かりんと』の前に勤めていた、大手オナクラグループです。

一番給料が低いところを選んだ理由は、「これよりもらえないってことはないだろう」と思ったこともあるんですが、「こんな気合の入っていない自分に一発気合を入れて、一番下からはい上がろう!」と思ったからなんです。

でも、そこで働いたおかげで、今の『かりんと』のオーナーに出会えたんですよね。

入店して半年ほどしたら、お給料を上げていただくことができました。さらにがんばっているからという理由で引越しもサポートしていただいて、ついにネットカフェ難民から開放される形となりました。

起業の失敗とネットカフェ難民。困難が押し寄せても、にしやまさんは逃げずに挑戦を続けている。

その原動力には、大学時代の自主イベントでの成功体験や自分を育ててくれた母親の存在が大きな意味をもっているのだろう。

次回、最終回は、『かりんと』の将来と風俗業界にかける熱い思いを語っていただく。

次の記事>>風俗業界から新たなステージへ進む! 『かりんと』のこれからと風俗業界の働き方~『かりんと赤坂』店長にしやまさん~

かりんと赤坂_にしやま

にしやま

1985年、福島県出身。大学卒業後、大手一部上場企業に就職。1年でベンチャー企業に転職した後、自身で会社を起業した経験も持つ。2012年より風俗業界入りし、いくつかの店舗を経験する中で現オーナーの誘いから創業メンバーの3人として『かりんと』グループを立ち上げる。“その先”に寄り添う、ユニークで優しいフーゾクカンパニーを目指す。
かりんと赤坂:公式サイト

執筆者プロフィール

新海 亨

新海 亨編集長記事一覧

元大手ハウスメーカー営業マン。お金と引きかえに自由とやりがいを手放す生活から決別するため転職を決意。ある風俗サイトに感銘を受け、デザイナーとして仕事を始めるも、いつのまにか編集員に。最近はハマっている一眼レフカメラの仲間を求め奔走中。座右の銘は“STAY GOLD!!” 東京都出身。

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