奈落に射した光~『かりんとグループ』角田健次が今思うこと #01

2019年10月15日

by松坂 治良松坂 治良編集者・ライター

――次代を意識した『VR風俗』に、感染症の流行を模した『かりんとパンデミック』、東京オリンピックを見据えて『東京かりんぴっく』と、エンターテインメント性溢れる企画やイベントで、多方面に話題を提供してきた『かりんとグループ』。

業態は現在手コキ店とコンセプトエステの2つ。スタッフ、店長だけではなく、エリアマネージャークラスの役職者でさえ30代と、その若さと熱量に基づく“企画力”が、大きな武器の企業だ。

現在の年収は1,500万円超。弊社の『転職フェア』を控え、求職者の道しるべになればとインタビューをお願いした角田氏も、まだ30歳だという。

「参考になるかな。僕で良いんですか?」

その笑顔と、『かりんと』での奮闘ぶりとのギャップに、私たちは驚かされることになる……

大学もサラリーマンも、自分の性には合わない

まず業界に入るまで……ということなんですけど、実はなかなか、今振り返って、印象に残っていることというのは、多くはないんです。

いい加減に生きてきたつもりもないんですが、たぶん、密度の問題なんですね。『かりんと』に入社して以来の時間は、ありがたいことに、本当に濃いですから。

青森で生まれ育って、18歳で進学のために上京しました。初めは弁護士になりたいと思って。

ところがいざ入学してみると、自分の“勉強嫌い”が身に染みたんですね。とてもじゃないけど僕は、“机に座ってコツコツ勉強してエラくなって”というタイプじゃないんだなと(笑)。

それからはもう、マンガ喫茶、レンタルルーム、カラオケBOX、バー、コールセンターから建設現場の解体作業まで、日々色んなバイトに明け暮れて。大学もほとんど行かずに中退したような感じです。

自営業をしていた父の影響も強かったと思います。大酒飲みでね。もともと僕には、サラリーマンは性に合わなかったんじゃないかな(笑)。

大学の同期は、今何をしているのか。これで良いのか

そんな感じで1日に2つも3つも仕事を掛け持ちして、ある意味では気楽なバイト暮らしを続けていたんです。たぶん僕は器用なんじゃないかな。業務をを与えられて、「これはできない」と思ったことがないですから。

でも20代も後半に入るとなると、だんだん焦って来るんですよ。

「オレは何しに東京に来たんだろう?」
「大学時代の同期が、大手企業で堂々と仕事をしている。それに比べて……」

何より無目的な自分が嫌で。それで25歳の時に、友だちと一緒に起業するんです。下北沢でバーを始めました。

バーを共同経営。でも、バイトの給料さえ出せなかった

この話をすると、「自分で経営できて楽しかったですか?」なんて聞かれるんですけど……。もうあっという間で、「楽しいなんて思ったことあったのかな?」と。とにかく初めから終わりまで、絵に描いたように壮絶な半年間でした。

まず予算がないから、壁から床からぜんぶDIYで、自分たちでやるわけです。オープン前の1か月で。ここからすでにたいへん(笑)。

そして経営となるわけですけど、2人とももう貯金がゼロなわけですよ。開業資金に当ててしまって。

さあオープンした。月の売上はとなったら、黒字3万円も出たのかな? 1人バイトの子もいたんですが、4か月目には「ごめん」て。

「たぶんもうアルバイト代出せない。ごめん。タダ働きさせるわけにはいかない」

1日中働き、遂には入院。天井を見上げ、思ったこと

僕は1日16時間ぐらい働いていたんじゃないかな。しかも早朝に店が終わったら、下北沢からアパートのある田町まで、自転車で1時間半掛けて帰るわけですよ。もう無茶苦茶。

またね、イライラしちゃうんです。共同経営者の友だちとお互い。金はないし、全然寝てないですしね。

毎日ケンカというか、友だちの方がわりとすぐにヒートアップしちゃうヤツで。なのでそいつがガーッと言って、僕の方が「まあまあまあ」って。

胃に穴が空きそう?(笑) 空きそうも何もない。実際半年目に胃が壊れて入院して、お店はお終いです。

悔しかったですよね。本当に悔しかったけど、ある種それどころでもないんですよ。救急車で運ばれた病院で窓の外を見て、夜中には天井を見上げて、金なんて1円だってなくて。どん底の中で思うんです。

「どうする? これからオレは、どうするんだ?」

ハングリーな気持ちはいつもあった。ここで終われない

飢えはいつもありました。それは貧しかったからとか、そういうことじゃないですよ。親父はそれなりの財産、親子姉弟が食っていけるものぐらいは、残して死んでくれましたから。

でも東京に来て大学を辞めて、早25歳で、サラリーマンはできないと思ったから、エイって、「何とかなるだろう」って自分でお店を始めてみたら、半年も持たなかったわけですよね。

半年で僕は、事業も失ったし、親友も失ったわけです。

「こんなところで終わりたくない」

そしてね、思い出したんです。『かりんと』のにしやまのことを。

にしやまの言葉。「困ったら連絡して。力になれる」

レンタルルームで仕事をしていた頃から、知り合いではあったんですよ。ちらほら話す機会もあって……。

「下北沢にお店を出すんです」って言ったら、「そうなんだ。行くよ」なんて言ってくれて、実際1度来てもくれたんです。驚きました。

僕がつくったお酒も楽しそうに飲んでくれて。経営の難しさは日々彼だって身に染みていただろうから、「がんばれよ」みたいな気持ちは、持っていてくれたんじゃないかな。僕だって尊敬していましたから、「あのにしやまさんが来てくれた」ぐらいの気持ちですよね。嬉しかった。

しかもその時にしやまは、最後にこう言ってくれたんです。

「何か困ったことがあったら、いつでも連絡してきてよ。力になるから」

チャンスをつぶすのも活かすのも、自分でしかない

で、電話したんです(笑)。この時も返事が来るなんて思っていないんですけど、やっぱり折り返し電話をくれたんですよね、にしやま。

それが僕と『かりんと』の出会いです。不思議でしょう?(笑) 人の縁てね。

若い子に言っておきたいんですけど、どんな業種でも、色んなところで人に会って名刺を交換したりなんかして、ただ漫然と「どうも」なんて言っていたらバカですよ。その1つひとつ、ぜんぶこの先いつかどこかの縁かもしれないし、成功かもしれない。

チャンスをつぶすのも活かすのも、自分次第ってことです。『かりんと』のスタッフになったこの時は、それどころじゃなかったですけどね(笑)。その意味では結果論になっちゃいますけど。

人は同時に色んなことを思う。杓子定規に考えるな

木村がこの前、おもしろいこと言ってたな。「にしやまは寂しかっただけ」って(笑)。2015年。ウチは神田店に続いて、2店舗目の赤坂店を出してっていう時ですよね。にしやま1人だけで回していたから、「耐えきれなかったんだろう」って。

一方でにしやまは、「角田が仕事できるヤツだっていうのは、会った時からわかってたよ」って言います。でもそこで僕は「どっちが正しいのか?」なんて野暮なこと言いませんよ。

今人との出会いの中で機会を与えられて、何店舗か見るようになって、収入も良くて……。

色んな女の子もお客様もスタッフさんも見るわけじゃないですか。で、わかってきますよね。

人って、1つのことだけを思うわけじゃないということ。僕が「仕事できるヤツ」って思ってくれたのも、「寂しい」と思っていたのも、きっと両方が真実なんですよ。

少なくとも僕には、そういうことがわかります(笑)。人の思いや行動を、杓子定規に測ったりはしません。

そしてそれは、僕だけじゃない。にしやまも木村も、この前インタビューを受けた五味だって、清家だってそうなんですよ。

僕らは性格も仕事への思いも目的意識もバラバラです。人が色んなことを同時に思うのもわかっている。

だけどきっと、どこよりも僕らには結束力があるし、新しいことだってまだまだできるはず。思いを1つにしたチームと言うよりは、個性をぶつけ合うユニット。僕は『かりんと』を、そんな風に捉えています。

――大学を辞め、たくさんのアルバイトをしてきた。経営も経験した。いつもあったのは“飢え”だった……。

渇いた果てに不思議な縁を頼り、角田氏は風俗業界へ。次回、『かりんと』で店長へと駆け上がる道程を見ていこう。

(インタビュー:新海亨)

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“源氏名”の向こう~『かりんとグループ』角田健次が今思うこと #02

角田 健次(かくた けんじ)

青森県出身。業界歴は4年。進学のため18歳で上京するが、仕事の方に面白味を見出し、1年時に大学は中退。飲食から解体作業に至るまで、様々なアルバイトを経験する。25歳でバーの経営を始めるも、半年で挫折。ところが2015年、26歳で『かりんとグループ』に入社すると、経験を活かしてすぐに頭角を現し、現在は複数の店舗を見るスーパーエースとして活躍中。30歳。

 

執筆者プロフィール

松坂 治良

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小さな出版社などを経て、”誠実に求人広告をつくろう“という姿勢に惹かれ、現職に就く。数年来クラシック音楽と仏教に傾倒中で、最近打たれた言葉は「芸者商売 仏の位 花と線香で 日をおくる(猷禅玄達)」。……向き合った相手の“人となり”や思いを、きちんと言葉にしたいと願う、今日このごろです。

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