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HAND BITCH【一般職(内勤・スタッフ)】斉藤永吉さんのインタビュー記事

HAND BITCH

2017年入社

斉藤永吉 (28歳)

一般職(内勤・スタッフ)

前職:新聞拡張員 ⇒ フリーター

2020.10.8

「イライラするのは余裕がないから」。一言で仕事への意識が変わり、まもなく4年目

この記事のポイント!

  • 「ウチで働いてみる?」。たった1本の電話が、救いだった理由
  • ドライバーから内勤に。僕じゃなくて、周りが慣れてくれた
  • 「能力のないヤツ」。誰もそんなこと言わない。僕だって店長に

16歳の鉄筋工。仕事を仕事として見ていなかった

こんにちは。わざわざ所沢までありがとうございます。僕にとっては地元ですけどね(笑)。

初めに勤めたのも所沢で、中学校を出てすぐに鉄筋工になりました。母子家庭だったので親に迷惑を掛けたくなかったですし、当時は僕も、正直何も考えていなくて。

工事現場に行ったは良いんですけど、ほんとに重労働なんですね。何より16歳の僕は、仕事への取り組み方がいい加減でした。

「すみません。寝坊したので遅刻します」

こうして連絡を入れていたのも最初の数日だけ。次第に平気で遅れるようになって……。

結局2、3か月で辞めてしまいました。

18歳で新聞の拡張員に。正社員として、3年勤めあげた

それからは肉体労働系の仕事や飲食店を転々と、という感じです。こんな考えだから長続きしないんですね。

「このままでは」となったのはやっと18歳の時です。地元も離れて、神奈川で新聞の拡張員をしました。配達、集金、営業、何でもやりましたよ。

正社員としてきちんと働いたのは、初めてのことでした。毎月決まった基本給が入って、頑張れば歩合給が付いてというのは嬉しかったですね。めげずに各戸に飛び込み営業をするうちに、固定のお客様も増えました。

ただここも、体や労働時間的にはキツかったです。その中で3年も続いたんで、そこは自分を褒めてあげたいですね(笑)。

地元で職を転々。『HAND BITCH』に出会った時は、どん底

でも新聞屋は、その3年が限界でした。長くいるうちに、上のやり方に疑問を感じるようになったんです。

新聞を取る方は、減りはしても増えはしません。だから営業の仕方も乱暴だし、職場の人同士の関係もギスギスしていて、もうそれがイヤになってしまって。

「所沢に帰ろう」

地元に帰ったところで、アテがあったわけじゃないんですけどね。数年は職を転々として……。

『HAND BITCH』に出会ったのは、そんな時期です。僕は25歳になっていました。

「ウチで働いてみる?」。たった1本の電話が、救いだった理由

正直「今度もダメかぁ」という感じだったんですよ。僕は学があるわけじゃないですし、その頃には職も変えすぎていたので、なかなか次の仕事が決まらなくて。

実家の近くに送迎ドライバーの求人を見つけてここに応募したんですが、実際面接から1週間2週間経ってもお返事がない。母親の手前申し訳ないという思いもあって、暗い気持ちで日々を過ごしていました。

「まだ決まってないようだったら、ウチで働いてみる?」

社長からの着信があった時は、嬉しかったですね。この時の恩を僕は今でも忘れていないし、だからここで頑張れているようなところがあります。

社長からしたらただの1本の採用通知だったとは思うんですが、当時の自分にとっては、やっぱり救いだったんです。

ドライバーから内勤に。僕じゃなくて、周りが慣れてくれた

しかも2か月ドライバーをした後、当時の店長から「内勤やってみませんか?」と誘っていただいて。

コミュニケーション能力? いや全然ですよ。全く女の子と話せませんでしたから。どこを買ってくれたのかは自分では全然わかりませんけど、「マジメに」ということだけは心掛けていたのと、単純に人手が足りなかったんじゃないですかね(笑)。

最初は苦労しました。対面での接客はあっても、電話応対は未経験じゃないですか。冗談抜きに、言葉づかいから教えてもらう感じで……。

マニュアルを読んでというより、先輩の様子を見て学ぶ毎日でした。「あんな風に話すんだな」とか、「駆け引きも大事なんだな」とか。

慣れてきたら女の子のシフトも管理して、出勤のお願いをしてということもするようになりましたけど、ここは正直、僕は今でも「できている」とは思っていないんです。毎日反省で、こうして続けられているのは、僕が仕事に慣れたというより、女の子が慣れてくれた気がするぐらいなんです(笑)。

ほら、3年前からいてくれる子もいるじゃないですか。その子たちはたぶん、「悪いヤツじゃないな。一生懸命だな」とか「意外にマジメじゃん」と思ってくれているんじゃないかと。

その上で新しい女の子もどんどん入って来てくれてますけど、なんというか、こういう『HAND BITCH』の人同士の雰囲気が、内にも外にも良く作用して、だからここは人気店なんだと思うんです。どんな業種でも、評判のお店って、中の人間関係が良いですよね。

自分の実力や成長がどうこうというより、場のおかげ。だから自分は続けられているんだと思います。

「能力のないヤツ」。誰もそんなこと言わない。僕だって店長に

入社の恩だけではなくて、社長からはその後もたくさんのことを学んでいます。

一番は“余裕”ということですね。全てにおいて、それが大事なんだよと。

もう業務でテンパっちゃってイラっとしちゃって。しかも当時の僕の悪いところで、それが外に出ちゃってたことがあったんですね。

そしたら社長が「斉藤君さ、なんでそんな風にイライラしちゃうかわかる?」と。

「自分に余裕がないんだよ。キャパオーバーなの」

ちょっとした一言なんですけど、「そうか」って。今までの職場で、そんな風に言ってくれた方って、1人もいなかったんですよね。「落ち着かねえな」って、頭ごなしに叱られてばかりでした。

キャパオーバーなら、キャパを広げればいい。勉強すればいいし、慣れれば良いだけ。自分の考え方が変わった瞬間でした。

「能力のないやつだ。ダメなやつだ」

そんな風には、ここの方達は誰も言わないです。ありがたいですよ。こんな僕でも「いつか店長に」と思えるし、お金だって「もっと」と望める環境です。

まだまだなんですけどね。この前も僕、間違って紙コップを2,400コも注文しちゃって(笑)。

こんなおっきな段ボールを見て、そこにいたみんなが固まっちゃいました。「どうすんだこれ」って。僕だってもう真っ青ですよ。

「しょうがねえなあ」

でも怒られませんでした。呆れられましたけど(笑)。「まあ使うもんだしね」って。これもたぶん“余裕”なんだと思うんです。社長の余裕、お店の余裕……。

自分は恵まれてますよ。本当にそう思います。僕が続けられているのを見て、そしていつも穏やかなのを感じて、母も安心してくれています。

取材後記

松坂 治良

執筆者

松坂 治良

道に迷ってしまった僕を、丁寧にオフィスまでご案内くださった斉藤さん。インタビュー中も撮影中も、サービス精神いっぱいで応じてくださいました。ご謙遜されていますが、16歳で社会に飛び出した苦労人です。これまでに、色んなことを肌で学んだ方だと感じました。まだ20代。お母様のためにも、ぜひ立派な店長さんになってくださいね。

プロフィール

HAND BITCH

斉藤永吉

一般職(内勤・スタッフ)

(前職:新聞拡張員 ⇒ フリーター)

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