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総合職(店長・幹部候補)】太田晴夫さんのインタビュー記事

2008年入社

太田晴夫 (40歳)

総合職(店長・幹部候補)

前職:飲食店員

2018.6.28

休めて稼げるは可能か。吉原⇒浅草。両極端な二つの店で働き、生かせていること

この記事のポイント!

  • 茨城から吉原へ。“月給100万円を目指す”がスタート
  • 大遅刻にも怒られず。吉原の優しさに触れる
  • 浅草でのチャレンジ。グループの方針に驚いた

30歳を機に上京。吉原で修行をはじめる

高校を出た後、地元の茨城で6年間飲食店に勤務したんです。もともとが人好きなので、楽しかったですよ。ただお給料は安かった。若かったんで東京への憧れもあって、30歳を機に上京した感じです。

そのころから目標は明確。月給100万円です(笑)。それぐらいお給与もらえたら楽しいだろうし、東京で遊べるじゃないですか。夢を夢で終わらせたくなかった。それで、吉原のソープランドの門を叩くんです。ちょうど10年前ですね。

コワいイメージですか? それが全然なかったんですよ。実際働いてみてからも、世間でイメージするようなダークな印象とかは、全然受けませんでした。

むしろ頑張ったなら頑張ったなりに評価されることや、高い給与が嬉しかったですね。夢中になって修行していたような感じです。

高級店での4年間。今につながる様々なことを学ぶ

なんて言うとカッコいいんですけど、まだまだ若かったんで、失敗もありました。大きいので言うと遅刻です(笑)。飲み歩いていて、そのまま夜ぐっすり眠っちゃったんですね。気が付いて起きたら、もう出勤時間は過ぎているどころの話じゃなくて(笑)。

今思うと許されないことなんですけど、あんまり時間が遅かったんで、逆に切り出しづらかったんでしょうね。その日僕、お店に連絡しなかったんですよ。無断欠勤てやつです。それはもう、次の日は出勤しづらいどころの話じゃなかったですね。

ところが店長もスタッフも、怒るより先に心配してくれたんですね。「大丈夫なのか?」って。それが嬉しいというより申し訳なくて、二度としなくなったのは当然なんですけど、ますます頑張るようになりました。

逆に言うと、大きな失敗ってそれぐらいなんですね。皆さん誤解があると思うんですけど、ソープランドの接客っていうのは、それほどむずかしいものじゃないんですよ。

もちろんそこは吉原の高級店ですから、マナーも接客も覚えなけらばならないことはたくさんありましたよ。特にご案内にすごく時間をかけるお店だったんで、「失礼があっては」って、毎日緊張感もありました。

でも仕事だから覚えるのは苦じゃないし、身に付けてしまえば、後はルーティーンの作業です。そこからは“上に行きたいか行きたくないか”の世界なんですね。

僕はもっと稼ぎたかったし、もっと上に行きたかった。だから“工夫”するようになったんです。一つひとつの接客をより丁寧にすることや、ちょっとしたことへの工夫で、任される仕事が増えていきました。

感覚的なものですけど、女の子と接することの“奥深さ”って言うんでしょうか。気持ちを知ることや伝えることの方法論みたいなものも、学べた気がします。

これもほんとうは、むずかしいことではないんです。やっぱり彼女たちには“心”があります。そのことを常に忘れず、気づかいを怠らず、敬意を持つのが大切だということ。敬意さえ持っていれば、接し方に間違いは起きないはずですし、それは入店して1日目のスタッフだって、できるはずのことなんです。

吉原に4年いましたけど、あっという間でしたね。そこでがんばれたことは、確かに今に生きていると思います。

新たなるチャレンジ。吉原を出る

ただちょっと、お店や吉原という空間に慣れすぎてしまったんでしょうね。はっきり言うと飽きてしまった。物足りなさを感じるようになったんです。立場も上になっていたんですけど、もっと力を発揮したくなった。

もう一つ言うと、そこは拘束時間の長いお店だったんですね。13、4時間という感じでしたし、休みもあまり取れなかった。34、5歳ですよね、そのころ。「この先なあ」っていう思いがあって、転職に踏み切ったんです。

なんと、浅草へ。働き方からして、違った

マックスの浅草店ができて今年で7年ですか。僕はだから、できてから1年ぐらいで受けたのかな? 浅草にポツンと一軒あるわけですから、これはチャレンジングなプロジェクトですよね(笑)。「おもしろそうだな。いっちょやったるか」って感じでした。

働きはじめていちばん驚いたのは、9時間労働で、残業がないんですね。ほぼ毎日、二交代のシフト制で回していました。休みも当時から週休で、今でも月に6日は休めます。それで収入も良かったですからね。「あ、こんなことできるんだな」って、すごく新鮮でした。

面接の時から社長に「ウチは休めるし、拘束時間も短いから」って、言われてはいたんですね。でもほら、“入ってみたら実態は”っていうことがあるでしょう?(笑)。「正直働いてみなきゃわかんないよな」っていう思いでいたんです。

でもほんとに帰らせてくれるし、休みもくれたんですね。「がんばれるし、続けられるな」って、あらためて思った感じです。

店長となっても方針は変えず。休めて稼げて、さらに上へ

今僕は店長で、入ってきたときと変わらず、“9時間労働、休めて高収入”っていう方針は守っています。自分が店長になったらできないとなったら、それは僕の能力の問題になっちゃいますから。

ウチはグループなんで、方針は充分守れるんですよ。池袋、新宿、浅草に5店舗ある。シフトに困ったら、お互い助け合えるんですね。

みんなわかってるんです。がんばって体壊しちゃったら元も子もないし、キツイって理由で若い子が辞めちゃったら、結局その分は自分たちに皺寄せが行く。

だったら二交代シフト制でやってみようよ。思い切って休んでみようよっていうことですよね。休む勇気(笑)。

それで僕が入ってからの6年間も、マックスは成功できていますからね。これからも方針は変わらないと思うし、グループをもっともっと大きくするのが、僕の今の夢です。

助け合いが生きているグループなんで、業態にこだわらず、色んな形で、みんなで挑戦できたらと思うんです。止まっていたら、また僕、飽きちゃうかもしれないんで(笑)。チャレンジ精神は忘れずにいたいですね。

取材後記

松坂 治良

執筆者

松坂 治良

太田さんとお話していて感じたのは“決めつけない”姿勢でした。茨城から出てくることも、吉原で働くことも、そこから移ることも、9時間残業ナシを店長として実践することも“そんなのできっこない”と言ってしまった瞬間に、すべて終わってしまいます。大田さんはまずやってみた。そしてとりあえずやってみたことが、今のご成功につながっているのだと思います。頼りがいのある店長さんのもとで、スタッフの皆さんも、さぞかし働きやすいことでしょう。

プロフィール

太田晴夫

総合職(店長・幹部候補)

(前職:飲食店員)