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総合職(店長・幹部候補)】枳穀健一さんのインタビュー記事

2011年入社

枳穀健一 (54歳)

総合職(店長・幹部候補)

前職:酪農家

2022.7.29

月給15万円⇒10店舗を束ねる会長。この吉原でのサクセスは、僕だけのものじゃない

この記事のポイント!

  • “いい加減”と“バイタリティある”は紙一重。だから僕は人に寛容
  • “その時自分ができる最大限のこと”を行う。出世と成功の理由
  • 月給125万円+業績給。現実に目指せる仕事、そうはないはず

北海道の根室で酪農業。「こんな田舎で人生を終えたくない」

はじめまして。暑いですねえ。しかもこの雨の中を吉原まで。……どうされました? 随分緊張しているような。

そうか(笑)。僕が会長だなんて聞いたからでしょう? 名前だけですよ。いや、ほんとに。人に恵まれてこの位置に辿り着けたというだけでね。どうぞラクにしてください。

もともと僕は北海道の根室で、最初の妻と酪農業を営んでいました。札幌の大学に進学したものの、つまらなくて20歳で実家に戻ってきちゃったんですよ。でも30歳になった時に、急に不安になってしまって。

「このまま根室の田舎に引っ込んだまま、人生終わっちゃうのかな」

そう思うともういてもたってもいられなくて、札幌に出たんです。トラックの運転手、鉄工所で工員、当時は何でもやりました。ド貧乏だったので(笑)、仕事を選ぶ余裕もなくて。

タイで健康食品の営業。韓国で日本語教師……波乱万丈の30代

ところがこの後色々ありまして(笑)。まず離婚があって再婚があって、義父が事業をしていた縁でタイに行くんです。

職を探して、日本人ツアー客相手に健康食品の販売を現地で3年、シンガポールの支社でも2年やりました。ずっとトップセールスマンでね。今でもすごく楽しかった思い出があります。

そしてやがてまた離婚。再々婚した相手と今度は韓国に行くんです。なぜって彼女が韓国人だったから(笑)。僕は日本語教師になりました。2年かな? 韓国語なんて全く話せなかったですけど、受け持ったのが上級者のクラスで、生徒達は既に日本語が上手だったんですよ。

僕の授業がまた、日本のテレビドラマを書き起こして、拙いながらも韓国語で補足するというものだったから、「あの日本人の授業おもしろいぞ」って、すごくウケたんです。みんな日本に憧れてましたからね。

この仕事にも充実がありました。どの子もマジメだったし、慕われればかわいくもなるもんです。今思えば続けていたって良かった気がするぐらいですが、結局僕は日本に帰るんですね。

どうして?(笑) これがまたおかしな理由で、カレー屋さんを始めたくなって、その資金を貯めるために賃金の高い日本に戻ろうと考えました。要は出稼ぎです。

韓国ってね、当時から料理は安くて美味しかった。それがなぜかカレーだけがめちゃくちゃマズかったんです。どこに行っても「何で?」っていうぐらい。

「韓国にウマいカレー屋ができたら、ゼッタイ当たる!」

“いい加減”と“バイタリティある”は紙一重。だから僕は人に寛容

……振り返ると30代後半までの僕は、ずっと衝動的に動いていますよね。飽きっぽいし、土地でさえそのときどきの配偶者に合わせて「タイ? いいね」「韓国? 行ってみようか」で動いてしまう。バイタリティがあると言えば聞こえはいいけど(笑)、でもそれはいい加減と紙一重ですよ。

スタッフ求人に当たって僕が今わりに寛容なのは、こういう背景があるんですね。履歴書を読んで「転職回数多いな」と思うことも正直ありますよ。でも僕は、そこでは落としません。

だって僕だってヒドかったんだから(笑)。人なんて気持ち次第ですよ。幾らでも変われます。

2年で店長に。ガンガン稼げるから、嬉しくてしょうがなかった

話を戻しましょう。帰国して妹の家でプラプラ居候をした後、製本のアルバイトを始めました。一晩中という仕事だったんですが、日給1万円出たんですね。「これなら貯められるぞ」と。

ただこれが実は“ある時はある”という仕事だったんです。前日に電話が掛かってきて「明日お願い」という時はある。そうじゃなければない。結局半月ぐらいしか動けなくて、月15万円。これじゃカレー屋さんは夢のまた夢ですよね。

そんな時です。スポーツ新聞の求人欄でこの業界を知って。面接は吉原だったかな? 責任者の方にいきなりこう言われました。

「日給は13,000円。休みはないよ」
「ほんとですか?!」

僕があんまり喜ぶもんだから、相手は笑いだしちゃうぐらいでした。「おもしろい奴だな。休めないんだぞ」って。

でもそれまでの僕からしたら、“休みがない=稼げる”でしかないわけですよ。「月40万! やりますやります」みたいなね(笑)。

配属は新宿の店舗型ヘルス。そんな調子だから、誰に言われなくても僕は頑張ったし、出世も早かった。2年で店長になりました。その後吉原の『ブロードウェイ』というソープランドに転属して、グループ8店舗中最下位だった売上を、ダントツ1位にまで引き上げたんです。

……やっと一番性に合う職に出会えたのかもしれないですよね。ガンガン稼げるから、もちろん嬉しくてしょうがなかったですよ。

“その時自分ができる最大限のこと”を行う。出世と成功の理由

今でも「何で枳穀のお店はうまく行くんだ?」ってよく聞かれるんですけど、当時も今も大したことをしていたわけじゃないんです。僕はただいっぱいお金が欲しかったし、早く出世したかった。なので「このサービスのポイントは何だ?」と考えたんですね。

結論はしごく単純でした。

“女の子とお客様”

この双方にご満足いただければ、お店はゼッタイに繁盛するんです。だからまず、とにかく女の子に気を遣いました。彼女達が気分良く働いてくれれば、それはそのまま接客の“質”の向上になるはずですから。

例えば女の子が「寒い」と言ったとします。その子だけじゃなくて、「おはようございまーす」とロビーを入ってくる子も寒そうに震えている。お店が古くて暖房の効きが良くなかったんですね。

どうするか。場所は新宿なんだから、その辺で靴下でもマフラーでもセーターでも買ってくればいいんですよ。で、「悪いねえ。とりあえずこれ着て」って渡すんです。これが一スタッフでしかない僕の、その時やれることですよね。

そしたら僕は評判になりました。

「新しく入ってきたあのおじさん、気がきく」「見かけと違って優しい」

やがて上は「おお。この新人使える」って、主任、副店長という形でポストを上げてくれるわけです。店長になったらもう「待ってました!」ですよ。

「エアコン替えます。冬寒いんだから。……掃除や修理なんてセコいこと言わない! 全替えです!」

要は“その時自分ができる最大限のこと”を行う。そうすることで僕は周りの信頼を得、立場を築いていったんです。

デリヘル事業の失敗。『ルピナス』に入社後は基本に立ち返った

エラそうなこと言ってますけど、僕一度失敗もしています。41歳か2歳の頃だったかな。独立してデリヘルをオープンしたんですが、7か月で潰してしまって……。

この時までは自分を「天才だ!」と思っていたんですが、身の程知らずも良いところですよ(笑)。ゼロからものを作る才能なんて、僕にはなかった。出来上がった事業やシステムを、より良いものに高める能力に、長けていただけなんですね。

その意味で言えば、自分の力、ふさわしい場所にあらためて気づけた。良い経験だったと思います。

実際当時の相談役に誘われて、『ルピナス』に入社したのが2011年。そこからの僕は、おかげさまでまた大活躍できました。一番の要因は基本に返ったことです。繰り返しになりますけど、

“女の子とお客様”

この双方にご満足いただくこと。これを徹底することで、わずか2か月で3店舗、1年で6店舗、2020年には吉原に10店舗を構えるグループにまで成長できたんです。部長⇒会長という形でステップアップも叶いました。

驚きますよね(笑)。根室の酪農家が、帰国した37歳の時には月に15万円しか稼げなかった中年が、ここまでのサクセスを手にできる。この世界のおもしろさだし、同時に女の子達とチャンスをくれた相談役には、今でも感謝しかないですよ。

月給125万円+業績給。現実に目指せる仕事、そうはないはず

「ウチに来た以上、同じように成功してほしい」

この思いが僕には強くあります。なので頑張りと成果には、きちんと報いていきますよ。

スタッフの月給は30万円でスタート。2か月で主任に昇格したら33万円、4か月目で次長になると38万円です。店長になれる目安はだいたい1~2年ですかね。ここで月60万円の基本給+業績給になるんです。悪くないでしょう?(笑)

先はもう青天井ですよ。2店舗見られるようになったら月100万円、5店舗管理できるようになったら月125万円がベースで、ここに業績給が付くんです。ぜひこの位置を目指してもらいたいなと。

今10店舗を3人で見ているので、ポストはしっかり空いています(笑)。出店も続けるつもりなので、冗談抜きにチャンスは無限です。

会長を目指してくれたって良いんですよ。僕は後6年、60歳には辞めるつもりですから。今の5度目の奥さんと、ハワイにでも行ってのんびり暮らします。引退を早めてくれるぐらいの、勢いのある子が入ってくれたら嬉しいですね。

……カレー屋さん?(笑) そうでしたね。最初の目的はそこだったのに、こっちの方が楽しくなっちゃった。

人生っておもしろいなと感じます。どうとでも変われるんだから。今の自分が嫌な方、くすぶっている方、ぜひご面接に来てください。年齢も性別も関係ありません。やる気さえあれば先の未来が、それも明るい未来が、きっと見えます。

取材後記

松坂 治良

執筆者

松坂 治良

記事では触れられませんでしたが、枳穀さんは「稼ぎはそこそこで。むしろプライベートを充実させたい。お休みが多く欲しい」という方のご相談にも乗るとのこと。これまでにも色んなスタッフさんがいたそうです。終始丁寧にご対応いただき、たいへん恐縮でした。もうすぐ引退などと仰らず、10年後20年後、またぜひお話を伺わせてください。

プロフィール

枳穀健一

総合職(店長・幹部候補)

(前職:酪農家)

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