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一般職(内勤・スタッフ)】渡邉伸さんのインタビュー記事

2017年入社

渡邉伸 (43歳)

一般職(内勤・スタッフ)

前職:プロゴルファー

2019.2.26

プロゴルファーから吉原に。生きるために、僕は16歳で仕事をはじめた

この記事のポイント!

  • 歩合給で稼いだリフォーム営業。やがて疑いが、心を蝕んだ
  • 30歳を越え、プロゴルファーに。テストは一発合格
  • 良いところも悪いところも知ろう。そこまで働いてみよう

16歳ではじめた1人暮らし。高校時代の手取りは25、6万円

アパートで1人暮らしをはじめたのは、高校1年生の時でした。親が亡くなって……。

家賃や学費は、バイトをして稼いだんです。手取りで月に25、6万円はあったかな? まあ、かなり一生懸命バイトしましたよね(笑)。

ところが高校を卒業していざ就職となったら、当時手取り12、3万円が相場。「とても暮らせない」と思って、月給30万円のキャバクラに勤めたんです。

マネージャー、店長と経験して、20歳でけっこうな役職にも就いたんですけど、25歳ですっぱり辞めました。“一生の仕事”とは思えなくて。

それで、今度は不動産の世界に飛び込んだんです。「父もやっていたし」と、縁も感じたんですよね。

歩合給で稼いだリフォーム営業。やがて疑いが、心を蝕んだ

リフォームの飛び込み営業を、30歳まで行いました。最初は楽しかったですよ。地域を回って、住民の方々と顔見知りになって、3か月で、スッとお仕事をいただけるようになった感じでした。

それからは歩合給でどんどん稼いで、やがて売上は全支店トップ。一度、幹部にもなりました。

でも、だんだん見えてきちゃったんですね。

「これはひょっとしたら、自分が売りたいだけなんじゃないか?」
「相手は喜んでいないんじゃないか?」
「必要なリフォームか?」

「いらないものを売っているんじゃないか?」と疑い出すと、今までの仕事もぜんぶ後ろめたくなってしまって、心を病んでしまったんですね。そしてその時、つくづく思ったんです。

「オレが稼ぐだけじゃおもしろくないんだ。お客様に幸せがないとダメなんだ」

自分はそういう性格なんだと自覚した時には、もう仕事を続けることはできなくなっていました。退職して、家に引きこもってしまったんです。

30歳を越え、プロゴルファーに。テストは一発合格

「ゴルフ場で人が足りないんだ。キャディーのバイト、してみない?」

僕にプロゴルファーの先輩がいて。引きこもっていたのを、心配してくれたんでしょうね。声を掛けていただいたんです。

ほら、ゴルフ場って緑はあるし、広いし、癒されるんじゃないかって。僕も少しでも精神的に楽になったらと思って、働きだしたんです。

ところが仕事をはじめてみると、自分の性格で、どうしてもちゃんとやりたくなっちゃうんですよね(笑)。

キャディーってプロゴルファーもやるんですけど、一緒にコースを回っているとね、お客様の目が違うんですよ。みんなプロの方に寄っていく。

僕がキャディーで付いても、すごく遠い方から「何番のクラブ持ってきてぇ!」みたいな感じ。顎で使われるっていうんですかね。

「自分もプロになりたい。なれないのか」

だんだんその思いが強くなっていって。

とは言え僕、今まで一度もゴルフをしたことがなかったんですよ。普通に考えたら、なれないですよね。

なんでまあ1年半ぐらいかな? 死ぬほど練習したんです。朝から15:00ぐらいまでゴルフ場で仕事をして、終わったら今度は自分が場内で練習して。

でも夕方には閉まっちゃいますから、今度は室内練習場に行って、ひたすらボールを打ちました。練習場も閉まっちゃったら、今度は家に帰って、5kmのランニング。なかなか壮絶でしょう?(笑)

結果、プロテストは一発合格。いや、そりゃもう、みんな驚いてましたよ。自分も30歳越えてましたしね。「よっぽど運動神経良いんだね」なんて言われて……。でも、ね、それだけじゃないですよ。運動神経だけでプロになった人、いないですから。

「プロゴルファーは10年」。そして、後輩プロに負けた時……

それからは「よし! 10年プロゴルファーをやろう」と定めて、“レッスンプロ”としてそのゴルフ場内に教室を持って、ときどき試合にも出てという感じでした。とても充実した年月でしたね。

せっかくプロになったのに、どうして辞めたのか? うーん……。そうですね、人はそう思うのかもしれないですけど、まず僕は決めていて、その10年目に備えて、後任を育てていたというのがあります。

それと、大きな試合に出るプロと、レッスンプロの差も、よくわかっていたんです。僕も練習して練習してという毎日でした。それでも破れない壁というのが、やっぱりあるんです。

決定打になったのは、ある後輩プロとの試合でした。全米でも勝った選手なんですけど、10年目の、自分が一番ノッている時に、同じ試合に出たことがあったんですね。

もう生涯のベストスコアを出して、「こんないいゴルフをしたことがない。完璧だ!」と僕が思ったその時に、前の組を回っていた彼に、3打差で負けてしまったんです。

そして負けただけならまだ良かった。でも彼は僕に、「あそこ失敗しちゃって」と言ったんですよ。その時に僕、「あ」って。

「オレ終わったんだ。もうゴルフはやりきったんだ」

生涯最高のゴルフをした僕をよそに、3打差で勝った後輩が「失敗した」と語る。この先40代の僕が10年ゴルフを続けても、今の3打の差が縮まることはないでしょう。10年目は、辞め時だったんです。

僕、やることはぜんぶやりました。一片の後悔もないですよ。

ゴルフのレッスンと、吉原の共通項

その後吉原に勤めることになったのは、一つの縁ですね。長くレッスンをしていた方のお1人が、吉原のソープランドでオーナーをしていて、僕はその方に惹かれたんです。

「この人がお店のオーナーを務める業界なら、悪くはないはずだ」

実際働いてみると、なかなかハードでしたね。はじめのうちは、頭を使うというよりは体力勝負という感じ。ウチは4Fまでありますから、忙しい時には、部屋を片づけたそばからオーダーを取って、階段を駆け上がり駆け下り……。

冗談みたいな話なんですけど、プロゴルファー時代よりも足腰が強くなったような気がしますよ(笑)。たまに誘われてゴルフ場に行くと、今の方が飛びますから。

40を過ぎて入ったわけですけど、ここは上も下もないんですよ。なので、全員が同じ列で同じように仕事ができるんです。自分が早く仕事を覚えれば、それだけ仕事をやるチャンスが増えてくる。やりがいを求める僕には、最高の環境だと思っています。

何というのか、前職とすごく似た感覚もあって。

レッスンプロの時は「この人に教わりたい」と思うから、お客様はスクールに来てくれたんですよね。ここも同じです。お客様は「女の子に会いたい」と思うから、お店に来てくださるんです。心理は、同じだと思うんですね。

だから、すごく気持ちが良いですよ。求められるものをご提供している。リフォームを提案していた頃のあの心苦しさは、ぜんぜんありません。僕ら男性スタッフの役割は、いかにお客様に丁寧に対応できるか。それだけだと思っています。

せっかく入った業界なんでね。自分で「やりきった」と胸を張れるところまでがんばりたい。もちろん稼げるだけ稼ぎたいですし、そのために立場が必要ということであれば、喜んでその立場も求めたいと思っています。

良いところも悪いところも知ろう。そこまで働いてみよう

僕はどの仕事も5年10年と続けてきました。簡単には辞めなかった。なぜかと言ったら、僕は16歳の時から、“生きるため”に働いていたからです。

楽して食べていけたら、それはそれで良いのかもしれないけど、僕はきっと、そんなに面白く感じないと思う。僕にとっては遊ぶことって、ただの暇潰しなんですよね。生活の糧にならないわけだから。

僕は生きている間は、何かを学びたいんです。逃げてもたぶん、何も変わらないから。ちょっとかじったみたいな感じで「あの仕事やりました」って言うのも、何だかカッコ悪い気がして……。

つらいとかしんどいとか、どの環境にも絶対あるんですよ。でもね、良いところも悪いところもわかって、はじめてその仕事って、“理解した”って言えるんだと思うんです。だから若い方には、「つらいところだけ見て辞めたら損だよ」って言ってあげたい。

どんな仕事も、必ずつらさの後に、楽しさが来るから。

(インタビュー:松坂治良)

取材後記

藤野 りさ

執筆者

藤野 りさ

“仕事とは、生きること”。インタビュアーの松坂は、渡邉さんに触れて、そう感じたと言います。

生温い感傷はなく、どんな仕事にも全力でぶつかってきた。藤野も、ここまで“自分”というものをしっかり持った方に、はじめて出会った気がします。文章ですべてをお伝えしきれないことが悔しい。「もし機会があれば、今度は私自身が取材をしたい」。そんな風に感じ、そして生きる力を与えられたインタビューでした。

プロフィール

渡邉伸

一般職(内勤・スタッフ)

(前職:プロゴルファー)