『俺の旅』編集長 生駒明の『平成風俗史』~#5:デリヘルが業界にもたらしたもの

2019年10月02日

by生駒 明生駒 明編集者・ライター

――デリバリーヘルスが生まれたそもそもの要因は、法の改正にこそあった。だがその後爆発的にこの業態が伸びた理由から、メディアの影響は外せない。そしてさらに……

まるで“疑似家族”。地方にはアットホームなデリヘルが

前回見た、デリヘル勃興期に当たる平成11(1999)年4月から平成13(2001)年3月までの2年間、私はライターとして、主に西日本のデリヘルを取材して回っていた。

大手週刊誌の連載企画で、キャストの撮影とインタビューを行っていたのだ。名古屋、大阪、福岡といった地域の中核都市はもちろん、静岡、高知、小倉などの地方都市にも足を運んだ。

大都市では企業のオフィスのような待機所が見られ、スタッフとキャストも別々の部屋だったが、地方ではマンションの一室が“事務所兼女の子たちの待機場所”といったところが多かった。

「こんな田舎でオフィスのような待機所にしたら、女の子が寄りつきませんよ(笑)」

実際こんな風に語る店長がいたほどで、地方にはスタッフとキャストが“疑似家族”のような、アットホームな店も少なくなかったのだ。

デリヘルには、“成り上がれる”という夢があった

一方で、デリヘルに現在に連なる“成り上がりの夢”を強く感じたのもこの頃だった。

ある地方の経営者は、改正新風営法施行とほぼ同時期にデリヘルを立ち上げ、大成功していた。近隣エリアに2号店、3号店を出し、破竹の勢いで覇権を広げていた。

当時その彼と居酒屋で飲み、あまりの頭の良さに舌を巻いた覚えがある。彼に限らず、会う経営者たちは、皆若くてカッコよかった。

「いよいよだ。これからだ」

大きな夢や、ギラギラした野望を、全身からみなぎらせていたものだ。

『ホテヘル』登場。“人との対面”に、安心感

デリヘルの展開により、風俗は多様化が進んだ。これも誤解している方が多いが、『ホテヘル』という兄弟分が出現したのもデリヘルの“後”である。

文字通り“ホテルでヘルス”の略称で、本番がないのはデリヘル同様だが、人と接することがないデリヘルに対して、ホテヘルには受付所がある(後、平成17年の法の再改正で、この受付所も“店舗”とみなされるようになるのだが……)。

客は受付で女の子を選んだり、コースを決めて料金を払ってから、ホテルへ移動する。一度受付を通り、人と対面している分、安心と考える層もいるのだ。

“普通”の方々。風俗店で働く年齢層の変化。人の変化

私が当時取材していて感じたのは、店舗型ヘルスからデリヘルへという、業態の主流の交代だけではなかった。

デリヘルの登場によって、まず風俗店で働くスタッフは、確実に若くなった。

そして年齢だけではない。それまでは風俗店に勤める人=コワい人、ヤクザな人というイメージがどことなくあったが、デリヘルの店長やスタッフに会ってみると、そんな印象が全くと言っていいほどなかったのだ。

ごく普通、もしくは今どきの若者といった方々ばかりだった。近所の知り合いや友達に会いに行くような感覚で、取材に行ったのを憶えている。

沖縄にも佐渡島にも。『無店舗型』の爆発力

平成13(2001)年9月1日。ご記憶の方もいるだろうか。新宿歌舞伎町の風俗ビルが火事になり、9月11日にはアメリカで同時多発テロが起こった。

そんな中で、デリヘルは右肩上がりで店舗数を増やしていったのだ。遠く沖縄本島はもちろん、新潟県の佐渡島にさえデリヘルがあった。

当時佐渡島で会った、20代前半の可愛い茶髪のキャストは「新潟市からフェリーで昨日着いたばかり」と教えてくれたものだ。新潟のグループのチェーン店。こうしてデリヘルは、日本列島の隅々まで浸透していったのだ。まさに『無店舗型』の威力だった。

デジタル化の加速 × デリヘル。最高の関係

時期はやや前後するが、平成14(2002)年頃になると、インターネットの普及はさらに進んだ。ネットで送受信可能な情報量が増え、そのスピードもアップしてくると、ホームページを持つ風俗店が続々と現れるようになった。

さらに風俗情報サイトも増加していき、既存の風俗情報誌が、IT化を見越してサイトを持つようになっていく。特に店舗を持たないデリヘルは、紙という実体を持たないネットとの相性が良く、ネットの普及と共にさらに店舗数を増やしていった。

逆に風俗専門の広告誌は少しずつ数を減らし、分厚かった冊子も徐々に薄くなっていった。風俗の情報は紙媒体からデジタルコンテンツへと、その提供場所を変えていくことになるのだ。

――見たように、デリヘルの普及により、風俗に対する様々な敷居は低くなった。ダイヤルQ2登場の頃から客は“素人”を好んでいたが、さらにこの間、キャストばかりかスタッフにも“普通”が浸透したのである。

ではこの時期、店舗型風俗店はどんな様相を見せていたのか? 次回はそこから話を進めてみよう。

【参考文献】
『フーゾク進化論』岩永文夫、平凡社、2009年
『昭和 平成 ニッポン性風俗史』白川充、展望社、2007年
『定本 風俗営業取締り』永井良和、河出ブックス、2015年
『日本の風俗嬢』中村淳彦、新潮社、2014年
『俺の旅 vol.1~vol.6』ミリオン出版、2003~2004年

※このほか名前は挙げませんが、多数のネット媒体を参照にしました。

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執筆者プロフィール

生駒 明

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1973年生まれ。新潟大学人文学部卒業。編集プロダクション勤務を経て、2004年にミリオン出版に入社。編集長として“風俗総合誌”『俺の旅』を、15年の長きに渡り世に問い続けた。2019年4月、同誌は惜しまれつつも紙媒体としての役割を終え、現在Webでの再起を図っている。

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