『俺の旅』編集長 生駒明の『平成風俗史』~#10:東日本大震災と風俗 未曾有の災害が業界に与えた影響とは

2020年01月08日

by生駒 明生駒 明編集者・ライター

前回は2009年秋のリーマンショックが風俗業界に及ぼした影響について、価格競争によるデフレ化、高級店の苦戦などを紹介した。

また、景気回復の兆しが見え始めた昨今においては、”パパ活”と呼ばれる新たな脅威が業界に影響を与えている。

今回は平成史にとどまらず、日本史上類を見ない未曽有の災害となった平成23(2011)年の東日本大震災が風俗業界に与えた影響を見ていこう。

節電で首都圏の歓楽街は暗闇に。夜ではなく早朝や昼間の来客数が増加


平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災は、風俗業界にも多大な影響を及ぼした。

首都圏の風俗への影響といえば、一番は節電と計画停電であった。国中を覆う自粛ムード。吉原では夜になると各店がネオン看板を消して、街中が暗闇と化した。この省エネ対策の結果、夜の来客は激減し、早朝や昼間に客足が移っていった。

計画停電区域となっていた川崎堀之内の某店では、停電に備えて、客に懐中電灯を持たせていたという。同じく計画停電区域であった埼玉西川口では、客数が減ると共に嬢の出勤も減り、街はすっかり活気をなくしていた。

新宿歌舞伎町では、節電のため、街のシンボルである一番街通りのアーチの赤いネオンが消滅。人の姿もまばらだった。

震災直後は、どの色街も活気を失った。看板のネオンは消えて、営業中なのかどうか不明の店も多かった。街を歩いていると、街の暗さ以上に、目には見えない自粛モードを感じたものである。

東北では早期に開業する風俗店も。それが人々の救いに

被災地のある東北地方では、大震災の影響で事実上の開店休業状態に追い込まれた店が多かった。風俗店や風俗嬢も多く被災しており、休業を余儀なくされていたのだ。

一方で、早めに営業を再開した店もあった。岩手県盛岡市にあった店舗型ヘルスもその一つだ。地震発生から数か月は深刻なガソリン不足であったため、送迎のない店舗型の店は有利だったのである。

客の多くはこの大災害で極度なストレスを溜めた地元の人たち。被災した男性が「人肌に触れないと正気でいられない」という心情で、駆け込み寺のように風俗にやってきたのだ。

家を流されたり、仕事を失ったり、家族を無くしたり、していた男性たちは、途方にくれながら、癒しを求めて風俗店を利用したのだ。

「そんな場合じゃない」ということは頭では分かっていたが、どこかで人の温もりを感じたかったと言う。

風俗がほんの一部ではあるが社会の救いになったひとつの出来事といえるだろう。

危機に瀕した東北風俗。被災したキャストを全国の風俗店が受け入れへ

早期に営業を再開した風俗店があったとはいえ、ほとんどのお店は営業休止に追い込まれていた。地元の風俗店で働く女性たちは再開までの間、全国へ疎開することとなる。

当時、一部の風俗店や風俗嬢たちが連携し、被災した女性たちを受け入れてくれる店を探す運動が全国的に巻き起こった。東北風俗の窮状を見かねた人々から支援の輪が広がっていったのだ。

受け入れ先に名乗り出たのは、石川県片山津温泉のソープ『英国屋』をはじめ、岐阜金津園や滋賀雄琴のソープだった。

また、全国規模で売り上げの一部を募金として集め、被災地に寄付する動きも見られた。雄琴ソープが集まる滋賀県特殊浴場協会では、積立金の一部を義捐金として寄付した。

私の知っているところでは、震災で両親と姉、祖母を失った18歳の女性が、知り合いを通して首都圏のデリヘルで働くことにより、救われていた。彼女の境遇を気の毒に思った店長が、無料で寮に住まわせてくれたのである。

震災は、このように、全国の風俗関係者同士の絆を深めるものとなっていたのである。そこには同じ業界の者同士の助け合いの精神があった。

復興需要で被災地が出稼ぎの場に。

2012年以降は土木や建設関係など男性の労働人口が増加し、復興需要で再び東北の風俗が盛り上がりを見せる。

特に仙台では“特需”と呼ばれ、デリヘルでは1時間待ちもザラ、という話も聞こえてきた。市内にある国分町のソープ街もすっかりと賑わいを取り戻していた。

そういった需要をもとめて、関東や関西などの女性が東北に出稼ぎに集まったのである。一次は壊滅的なダメージをうけた東北の色街も、被災地の復興と比例して、活気を取り戻すことができた。

復興を支える男たちのカンフル剤となり、働く女性の稼ぎにつながっていく。風俗業界が日本経済と密接に関係していることがよくわかる事例だった。

東日本大震災により、平成23(2011)~24(2012)年はかつてない危機を迎えていた。日本全体が不安に覆われるなか、風俗は癒されたい人々の“心の救い”となっていた。

「こんなときにけしからん」という声はごもっともだが、被災し、家族を亡くし、どうしようもない悲しみを埋めるために、風俗は確かに必要なものであったのだ。

また、女性も被災地から全国に疎開し、受け入れ先の風俗店で働くことで稼ぎを得ることができた。『がんばろう東北』のスローガンが日本中を駆け巡り、日本中で支援の輪が広がっていた当時、風俗業界でも確かにこの動きはあったのだ。

震災という悲劇が、風俗業界全体の絆を深める結果となり、それは日本経済復興のパワフルなテコでもあった。

次回は、平成の後半期に大きな流行となったソフトサービス風俗について見ていこう。オナクラやメンズエステは、なぜ、あれほどまでに流行ったのか、を考察していきたい。

執筆者プロフィール

生駒 明

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1973年生まれ。新潟大学人文学部卒業。編集プロダクション勤務を経て、2004年にミリオン出版に入社。編集長として“風俗総合誌”『俺の旅』を、15年の長きに渡り世に問い続けた。2019年4月、同誌は惜しまれつつも紙媒体としての役割を終え、現在Webでの再起を図っている。

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