『俺の旅』編集長 生駒明の『平成風俗史』~#2:援助交際の登場と実際―“素人”の時代としての1990年代―

2019年08月23日

by生駒 明生駒 明編集者・ライター

――前回見たように、戦後の風俗はアメリカという“外”の存在抜きには語れなかった。また、“公にも私的にも売春は禁止”という前提が、サービスのソフト化に大きく寄与したのも見た通りである。

風俗の業態は時の流れと共に移り変わり、平成となる。今回見るのは、バブル経済の崩壊が始まろうとする1990(平成2)年前後から、90年代末(平成11年)にかけて。思えばこの時期は、後に『失われた10年(平成3年~14年)』と呼ばれた時代とも重なっている。

昭和天皇崩御。弔旗を掲げて休業したソープ街

昭和64(1989)年、昭和天皇が崩御。皇太子明仁親王が第125代天皇に即位し、年号は『平成』に改まった。

業界歴の長い方は、覚えているかもしれない。崩御の日、吉原のソープランドは弔旗を掲げて休業したものだ。

最近では令和元(2019)年の6月28日と29日、『G20(20か国・地域首脳会合)』の期間に、大阪の飛田新地と東洋ショー劇場が営業を自粛している。風俗業界は昔も今も、自主規制によって体制側を刺激しないようにしているのだ。これは成人向け雑誌も同様である。

デートクラブ、テレクラが増加。ピンクチラシは芸術?

この頃、文字通り男女の“デート”のセッティングがウリの『デートクラブ』、女性からの電話を待つ個室を提供する『テレフォンクラブ(テレクラ)』が増加。

デートクラブで客が女性に支払う額の相場は、90分で2万5千円。鶯谷や新大久保など、ラブホテルの多い地域に事務所を構え、集客競争が激化した。くわしくは次回に譲るが、ホテルでソープランドと同様のサービスを受ける『ホテトル』がポピュラーな存在になっていったのも、同時期であった。

(この時すでに『トルコ風呂』はソープランドに改称していたが、派生した業態では『ホテトル(ホテルトルコ)』と、名称が生き残ってしまった)

ホテトルは営業用のピンクチラシを電話ボックスの中にベタベタと貼り付け、その光景はある種芸術的なものとさえなっていた。博多などでは公衆トイレの中やビジネスホテル前のガードレールなど、至るところに色鮮やかなチラシが貼り巡らされていたのだ。洗練されたアートのようであった。

当時は想像もしなかったが、今となってはチラシどころか電話ボックスさえ懐かしい。時代というのは本当に、“動く”のだと実感する。

ブルセラショップが登場。先には何が待つのか

平成2(1990)年、女子高生の下着を売る『ブルセラショップ』が登場。現役の女子高生たちが手にしたお金は、ディスコなどでの彼女たちの遊び資金になる。

ここで済めば、もしかしたらまだ良かったのかもしれない。だが、そうは行かないのが世の常なのだ。

ブルセラで“モノ”を売るだけでは飽き足らず、テレクラやデートクラブでアルバイトをするうちに『援助交際』へと発展する女子高生が急増。金銭等を目的に交際相手を募集し、ときには性行為も行う。要は売春の一形態なのだから、道義的にも物議を醸さないはずがない。実際90年代半ばには、社会問題となっていく。

『援助交際』を広めたのは誰か。そして、私の実感

女子高生の背中を押したものは何だったのかと言えば、やはり“情報”だろう。平成4(1992)年から平成7(1995)年にかけて、テレクラは全盛期を迎えていた。

また、店舗に出向かず自宅から気軽に利用できる『ダイヤルQ2』や伝言ダイヤルも盛んになり、ポケベル(ポケットベル)や携帯電話の普及と符合して、先にも少し述べたが、“電話がらみの風俗”は、援助交際の温床と化していったのだ。

さらに平成8(1996)年前後になると、テレクラから『出会い系サイト』へと女子高生たちの利用媒体が移り始める。大人たちの間で、規制や『青少年健全育成条例』の強化が緊急課題として取り上げられるようにもなった。

テレクラやダイヤルQ2、伝言ダイヤル、出会い系サイトなどを広めたのはマスコミだった。雑誌やテレビの報道に乗せられ、試してみる人々が多かった。

個人的には“援助交際そのもの”でさえ、マスメディアの過剰報道に煽られてのブームだったように感じている。当時地方にいた私は、正直「騒ぎ過ぎ」だと思っていた。圧倒的多数の人々とは“無縁”の世界で、実態はそれほどのことでもなかったはずなのだ。特に、地方では……。

――今回は、1990年代の風俗を“女子高生”というワードを中心に、“素人”という側面から眺めてみた。

だが当然のことだが、風俗にはかつてと変わらずにプロフェッショナルがいた。次回はこの、プロの“仕事”としての風俗の移り変わりを見てみよう。

【参考文献】
『戦後 性風俗大系 ……わが女神たち……』広岡敬一、朝日出版社、2000年
『昭和 平成 ニッポン性風俗史』白川充、展望社、2007年
『フーゾク進化論』岩永文夫、平凡社、2009年
『不良中年の風俗漂流』日名子暁、祥伝社、2009年
『俺の旅 vol.6』ミリオン出版、2004年

※このほか名前は挙げませんが、多数のネット媒体を参照にしました。

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執筆者プロフィール

生駒 明

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1973年生まれ。新潟大学人文学部卒業。編集プロダクション勤務を経て、2004年にミリオン出版に入社。編集長として“風俗総合誌”『俺の旅』を、15年の長きに渡り世に問い続けた。2019年4月、同誌は惜しまれつつも紙媒体としての役割を終え、現在Webでの再起を図っている。

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