『俺の旅』編集長 生駒明の『平成風俗史』~#0 プロローグ
2019年07月11日
――平成31(2019)年、惜しまれつつも“紙”の雑誌としての役割を終えた風俗情報誌『俺の旅(ミリオン出版。後、大洋図書)』。創刊は平成15(2003)年のことだった。
まさに平成中期から令和の現在にまで至る風俗を、“鏡”として映し出してきたのが、この雑誌と言えるだろう。編集長を務めていたのは私、生駒明だ。
その私がこれから『平成風俗史』を連載するわけだが、まずここまでの経緯を伝えておきたい。
編集長として、実質14年間。全174冊に注いだ愛情
『俺の旅』。私が出版社で15年間担当した風俗情報誌である。編集長として実質14年間、精魂込めて作りあげてきた雑誌だが、平成31年4月10日発売号をもって休刊となった。コンビニエンスストアが同年8月末までに成人雑誌の販売を中止すると発表したことにより、現状のまま存続させるのが不可能となったからだ。
改めて数えてみると、本誌125冊、増刊号40冊、ムック9冊の全174冊。よくこんなにたくさん作ったものだ。私はこの雑誌の製作に、10年以上、全エネルギーと時間と愛情を惜しむことなく注いできた。
『俺の旅』は私の親友であり、家族であり、分身
『俺の旅』の休刊と同時に、私はそれまで勤めていた出版社を退社した。それは、風俗の魅力を表現する仕事を続けたいからだ。勤務していた出版社から同誌の商標権を頂き、私は同年の6月1日からフリーランスの編集記者として活動している。
『俺の旅』は私の生涯のパートナーであり、親友であり、家族であり、分身である。私は『俺の旅』と一生を共にする覚悟で今生きており、死ぬまでこの雑誌を何らかの形で作り続け、死んでからも一緒に過ごすと腹を決めている。
世の中も社会の成り立ちも、歴史さえ風俗から学んだ
私は、風俗取材や『俺の旅』の製作を通して、様々なことを学んだ。世の中の仕組み、社会の成り立ち、世界の歴史や文化、人類の栄枯盛衰など、風俗情報誌を作りながら人間としての視野を存分に広げることができた。
今、振り返ると、この15年間はかけがえのない“素晴らしい時代”だった。『俺の旅』への思いは言葉にならない。失ったものが大きすぎて、思い出すたびにポロポロと涙がこぼれるほどだ。
いくら感謝しても、し切れない。出版社に在籍していた平成16(2004)年3月から平成31年の5月までの15年間、この雑誌は“私の全て”であった。
自分は言わば、風俗に救われた人間。今、恩返しの時
私は今、風俗に恩返しがしたい、と思っている。若い頃、“不遇な生い立ち”に絶望していた私を救ってくれたのは、風俗であり、『俺の旅』だった。
“世の中の理不尽”“社会の不条理”“生まれの不平等”に打ちのめされて、思うようにならない人生を嘆いていた自分を立ち直らせてくれたのが“風俗取材と風俗情報誌作りという仕事”であった。
私は『俺の旅』に救われた人間であり、風俗に育ててもらった人間である。これからは風俗を支援し、少しずつ恩返しをしていきたい。そして、『俺の旅』を何らかの形で復活させたい、と考えている。
平成の風俗史を知ることで、“業界”が見えてくる
そんなおり、本サイト『Fenixzine』の編集部から、記事の依頼があった。
編集長の新海さん曰く、「平成の風俗の歴史を分かりやすく書いてほしい」とのこと。20代~30代の風俗店で働くスタッフの方に、業界の歩みを網羅的に伝えたい。風俗史を知ることで、今の業界の仕組みや流れを相対的に捉えることができるようにしたい、という意図である。
私としては願ってもない仕事であった。『俺の旅』の製作中、非公式だが各方面から著書の依頼を何度も頂いていた。
「週刊誌やスポーツ新聞の風俗欄でコメントしている生駒さんが本を書けばいいのに」
「20年以上も現場に出続けている生駒さんは絶対に風俗の本を書くべきだ」
「業界の権威として有名な生駒編集長が風俗論を書けば売れる」
……などと周囲から言われ続けていた。ついにその時が来た、と今、感じている。
私はこれまで取材してきたものを整理し、これから本を書きたいと思っている。風俗が分かる本、その魅力が伝わる本、業界を応援する本を執筆したいのである。
ここで与えられたテーマは『平成風俗史』。“平成という時代の風俗はどのようなものだったのか”を、これから分かりやすく綴っていきたい。
――次回、平成元(1989)年から……と行きたいところだが、いきなり平成に入るのではなく、それ以前の日本の風俗について、サラッとおさらいしておくのが良いだろう。過去の性風俗を知ることによって、現在の風俗の姿が相対化され、その本質が見えてくるからだ。
まずは、日本の風俗の“起源”から、話を始めてみよう。
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